『 どんなときでも 』

2021年12月5日(日)  川上牧師
エレミヤ36:1-10,Ⅱテモテ4:1-8

連続テレビドラマ『Come, come, everybody』は、ラジオの英会話教室をめぐる物語である。第2次世界大戦中、「敵性語」の英語が禁じられている時代に、生まれた子どもの名前を「るい」とつけた。ジャズの名曲“On the sunny side of the street”(明るい日なたの道を)を歌う、ルイ・アームストロングに由来する命名である。どんなに禁じられても、英語や歌への思いは消すことはできないことが描かれる。

現代は信教の自由が認められる時代である。しかしキリスト教の歴史を振り返れば、宣教や伝道が認められなかった時代もあった。(ローマ帝国の迫害時代、日本の切支丹禁制時代等々。)そんな中でも、イエス・キリストの福音を伝える働きが途絶えることはなかった。それは語る人々が、そこにこそ本当の喜びや救いがあることを知っていたからに違いない。本当に人々に「よきもの」を与える言葉や教えは、どんなときでもその困難を乗り越えて語り継がれてゆく。

エレミヤはバビロン捕囚の時代に活動した預言者だが、彼は一時期神殿で語ることを禁じられた。彼の語る言葉があまりに悲観的で、耳の痛いものだったからだ。しかしエレミヤの預言の目的は、人々を脅して縮み上がらせ、絶望させることではなかった。厳しいその言葉を聞いて、人々が悔い改めの心を抱き、神の赦しを得させることが目的だったのだ。エレミヤ自身は語ることを禁じられたが、彼は弟子のバルクを通してさらに預言の言葉を民に伝えてゆく。

「折が良くても悪くても、み言葉を宣べ伝えなさい」。パウロはテモテにそう命じる。最近の聖書学の研究では、これはパウロの名を借りて、後の時代の教会のリーダーたちが諸教会の人々に託したメッセージだとされている。

それらの言葉が語られた時代とはどんな時代か?それはローマ帝国による迫害が厳しくなる時代であった。人々は公然と礼拝・集会を行なうことができず、墓場(カタコンベ)に集まって礼拝を行っていた。その時代背景をイメージしながら読むと、より心に迫るものがある。

誰も健全な教えを聞かず、都合のよい話に流れていく…そんな中で、どんなときでも流されずに語るべきことを語りなさい、というのである。それは戦時中、英語が禁止される中で英語の勉強をするようなこと、多くの国民が「欲しがりません、勝つまでは!」と強がる中で「この戦争は間違ってる。日本はこの戦争に負ける!」を叫ぶようなことである。

私たちは憲法で信教の自由が保障された中で、自由に信仰生活を送ることができる。それは大変幸いなこと、感謝すべきことである。しかし歴史を振り返れば、それはあたり前のことではない。多くの痛みと引き換えに、少しずつ積み上げてきたもの、そして気を抜くとすぐに失われるものなのだ。

平和で自由な環境に生きる私たちは、こと「どんな時でもみ言葉をのべ伝える」という覚悟に関して言えば、エレミヤやパウロやテモテにずい分遅れを取っていると思う。もちろん、彼らのような困難な時代に戻りたくはない。だからこそ私たちは、どんなときでも神をあがめ、どんな時でもイエスを見つめ続けることが大切なのだ。「どんなときでも日なたの道(sunny side)を歩いていこう!」と歌い続けた人たちのように。