2021年12月19日(日) クリスマス礼拝
イザヤ52:7-10, ルカ2:8-14
年末になると毎年、その年に各方面で活躍した人たちの表彰式が行われる。その喜ばしい発表は、多くの人が注目を集めるところで、華々しく行われる。喜びの出来事だけではない。太平洋戦争の敗戦を告げる「玉音放送」は、ほとんどの国民がラジオの前で正座させられ聞いたという。いずれにしても、多くの人を相手にして、それらの知らせは告知されてゆく。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる、大きな喜びを告げる」。世の救い主の到来を宣言する天使の言葉である。何十年も、何百年も待ち続けたメシヤがとうとう与えられる!その喜びの知らせを「民全体」に告げる発表式の場として、選ばれたのはどんな場所だっただろうか。
「民全体への喜び」― その発表の場所として、当時のユダヤ人ならばまっ先に思い浮かべるのはエルサレム神殿であろう。その昔バビロン捕囚からの解放を告げる第二イザヤの預言、そこで喜びの声が告げられる場所として「シオン」の名が語られている。言うまでもなくエルサレムの別名である。
しかし、救い主の到来を告げる場所として、神が選ばれたのは神殿ではなかった。人里離れた荒野の、羊飼いたちの働く場所であった。生き物を飼い、移動生活の遊牧民。その生活は貧しく「最下層の人々」とされていた。そんな人たちに「民全体への喜び」が真っ先に語られたのである。民の指導者であった祭司長・律法学者ではなく、ユダヤの最高権力者・ヘロデでもなく…。
幼な子が生まれた場所についても同じことが言える。王宮の広間でもなく、宿屋の特上の客間でもない。神が選ばれたのは、客間にも泊まれずようやく転がり込んだ家畜小屋の、飼い葉おけの中だった。人知れず、誰からも気付かれない形でひっそりと、しかも誰からも顧みられないような「いと小さき人々」に向けて、「民全体への喜び」が告げられたのである。
このことは、幼な子のその後の歩みにも現わされてゆく。「食するひまもうち忘れて、虐げられし人を訪ね、友なき者の友となりて、こころ砕きしこの人を見よ」(讃美歌280) 。貧しい人々の憂い・悩みを一緒になって背負い、一つ一つの出会いの中で神の救いを求めていかれた。すべてのものを与えた挙句、最後は十字架の苦しみを負わされながらも、それでも人を赦す歩みを貫かれた。そんな風に「いと小さき者」との関わりを軸として、「民全体への喜び」は伝えられ、広められていったのだ。
その救い主と、いま私たちはどこで出会うことができるだろうか。イエスご自身の教えがそれを示してくれる。「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、私にしてくれたことなのである」(マタイ25:40)。
コロナの困難が続く中、私たちは手っ取り早く解決を与えてくれるような「大きな力・強いリーダー」を求めてしまう。しかしそのことが大きな危うさを抱えていることを、歴史は物語っている。百年前、第1次世界大戦からスペイン風邪のパンデミック、そして世界大恐慌へと至る時代もそうだった。大きな力を持つ強いリーダを求める人間の意識が、結果的にナチスの台頭を許したのである。こんな時代だからこそ、「民全体への喜び」は「いと小さき者」に与えられたということ、クリスマス物語が告げるそのことの意味を、大切に受けとめたい。