2015年1月18日(日)
出エジプト記18:13-27
ルカによる福音書5:1-11
あらゆる社会組織には、その規模に応じて役割分担が生じる。その中で人よりも少し多くの任を担う人々(例えば「世話役」や「役員」のような人)がいることによって、その活動は円滑に進められる。すべての人が「お客さま」だとその組織は回らないが、全員が「世話役」にならなくてもいい。以前読んだ本の中では「5人にひとり」くらいが適正だということであった。
出エジプトの旅を続けるモーセとイスラエルの民。モーセの役割は、強烈なリーダーシップを発揮して人々を自由へと導くことと思われがちだが、それだけではなかった。結構な労力を注がされていたのは、クレーム処理であった。民人同士の間にいざこざが起こると、人々はそれをモーセの所に訴えに来る。それをモーセが直接さばいていたので、一日中行列が絶えなかったという。
モーセのしゅうとであるエトロがこれを見て、「そのやり方はあまりよろしくない」と忠告した。そこでエトロはモーセのもとに苦情処理の役割分担を提案した。「百人隊長」「千人隊長」という言葉が出てくるが、それは軍隊ではなく、民事訴訟の解決役であったのだ。こうしてイスラエルの民は、ひとりの傑出したリーダーがいなければ何もできない未熟な集団から、分に応じて役割を担い合う成熟した共同体へと成長してゆく。
新約の聖書箇所は、イエス・キリストが弟子としてペトロたち漁師を招かれた召命の場面である。イエスが神の国の福音を告げ知らせるにあたって、ひとりでその任を担われたのではなく、弟子たちを招き共に歩まれた。そこで選ばれたのは、律法の専門家でも、強力な軍人でもなく、無学な漁師たちであった。「神の国」というものは、「それに相応しいと思われる人」によってのみ建てられるものではない。むしろ「そこから大きく外れている」と思われる人によっても、その役を担うことができる。イエスはそのことを示されたのではないか。
ペトロを弟子に招くにあたり、イエスは「沖に出て網をおろしなさい」と言われた。その日は不漁であったが、ペトロは「お言葉ですから」とその言葉に従った。すると網を破る勢いの魚が獲れたと記される。イエスは言われた。「あなたはこれから人間を獲る漁師になる。」
実際のペトロたちの伝道のわざは、この「奇跡の大漁」のように順調ではなかった。もっと「ふさわしい人」を選んでいたら、違う展開があったかも知れない。しかしイエスはペトロたちを選ばれた。
役割を任せるということは、その人を信頼するということでもある。「お言葉ですから」とその役割を担うことで、本当に仲間になることができるのだ。