2022年3月20日(日)
フィリピ2:12-18
今日はこの3月で高校を卒業し、新しい学校に進む人々を祝福する礼拝です。そんな人々に、僕にとっての大切なメッセージソングをまず贈ります。(♪「風になりたい」を歌う)
この歌は、僕は賛美歌だと思っています。「生まれてきたことを幸せに感じる。カッコ悪くったっていい、あなたと風になりたい。」この言葉は、僕が牧師として伝えたい最も大切なメッセージです。
僕の人生の究極の目標は、人生最後の日に「生まれてきてよかった」と思って旅立つことです。でも直前になって「そう思おう!」と思ってもそれは遅い。その日に至るまでに毎日をどのように過ごしたのかが大切です。
パウロは「私が走って来たことが無駄ではなかったと、キリストの日(最後の日)に誇ることができるでしょう。」と語ります。最後の日に自分の人生を誇ることができる…それが「救いの完成だ」と言うのです。
それだけでなく、こうも記しています。「たとえ祭壇に私の血が注がれるとしても、私は喜びます」。実はこの手紙を書いた時、パウロは迫害を受け投獄されていました。そんなパウロを、フィリピの教会の人々は物心両面で支えました。そのつながりを心から喜ぶ思いがこの手紙にはあふれています。
命の危険すら感じる困難な状況の中で、でもパウロは嘆きません。愚痴を言いません。むしろそんな厳しい中でも、イエス・キリストを信じる信仰により、人と人との交わりが導かれている…そのことを深く感謝し喜ぶのです。そしてそのような信仰の歩みが与えられているから、「生まれてきてよかった」と思うことができるのです。
教会とは、「生まれてきてよかった」という思いを分かち合える所でありたいと思います。中にはいろんな痛み苦しみを体験したり、病気や災害、失敗などの経験から「そんなこと簡単には言えないよ」という人もいるかも知れません。あまりの辛さゆえに「自分なんて生まれてこない方がよかった」と思う人がいるかも知れません。
でも神さまから召命を受けた牧師として、これだけははっきりと言わせていただきます。「それは違います。間違いです!。『神さまの目から見て、この世に生まれて来なかった方がよかった人間など、ひとりもいない。』僕はそう信じています。」そのように言い切ります。
なぜ言い切れるか?それは、私たちの信じる救い主、イエス・キリストが教えてくれたことだからです。病気や貧しさのためにこの世の苦しみを抱えていた人たちが、イエスと出会って「生まれてきてよかった」という思いを取り戻していきました。それがイエス・キリストによる救いなのです。
「自分なんて必要のない存在だ」などと思わずに、自分を大切にする。同じように命与えられた隣人を大切にする。それが「自分を愛するように隣人を愛する」、イエスが与えてくれた最も大切な教えです。そのような歩みを続ければ、必ずきっと「生まれてきたことを幸せに感じる」ことができるのです。
かけがえのない命を感謝し、自分と他人(ひと)とを感謝し、「生きることを喜べ!」