『 小さきものと共に 』川上牧師

2022年8月14日(水)
申命記10:17-20,Ⅰコリント12:18-22

教会のトイレ改修に合わせて、ピクトサインの作製をデザイナーの荻原貴男さんに依頼した。このピクトサインにはレインボープロジェクトに込めた思いが集約されている。今日は改めてそのことについて語りたい。

今回の改修工事は、古い設備を新しくするというだけの意味合いではない。教会の向き合う現代の課題 “セクシュアルマイノリティ・LGBT”の方々を受けとめるための計画なのである。「男・女」に分けられたトイレしかない状態では、「どなたでもおいで下さい」とは語れない。近年、公共施設や学校のトイレなども、性別の如何に関わらず使える「オールジェンダートイレ」を設置するところが増えている。

申命記では「(神さまは)孤児、寡婦、寄留者を愛される(大切にされる)」と記されている。孤児・寡婦・寄留者は、この後もしばしば旧約には取り上げられる。それは弱い立場・小さくされた人々のことである。「いと小さきものを大切にされる神」、それが聖書の示す神さまの本質である。

その神の本質を最もはっきりと示されたのがイエス・キリストだ。「虐げられし人を訪ね、友なき者の友となりて…」(讃美歌280)、そのようにして「いと小さき者」と共に歩まれたイエスこそ、私たちの救い主である。パウロはキリストによって、生き方を180度変えられた。それまでの律法主義者(強者)としての歩みに別れを告げ、キリストの救いを世に伝える宣教者となった。

パウロはⅠコリント12章で、教会の交わりを人間の体に譬え、それぞれの働きの違いを尊ぶこと=多様性の尊重を呼びかける。その中で「体の中で最も弱い者がかえって必要」(22節)と語る。強さを誇り競い合うのではなく、弱さを中心にしてそれを支える…それによってしなやかで温かな交わりが生まれる。それこそが本当に強い絆となることを、パウロはイエスから学んだのである。

社会の中で差別や偏見を受け、小さくされている人と共に歩むこと…それはいつの時代にも教会の目指すべき大切な課題である。前橋教会がレインボープロジェクトに取り組んだのもこの聖書のメッセージが原点である。

ただ、もうひとつ、心に留めておきたいことがある。このような取り組みは、これみよがしにやるのではなく、さりげなくやるものではないかということだ。大々的に喧伝したり吹聴したりするものではない。イエスも「右手のしたことを左手に知らせるな」と教えておられる。自然な形でこの課題に向き合えるものでありたい。

レインボーは多様性の象徴、近年ではセクシュアルマイノリティの人権運動のシンボルマークでもある。今回のピクトサインには、そのレインボーのモチーフが、自然な形でさりげなく、明るく温かくデザインされている。

「いと小さきもの」とはやがて年老い、病気になり、弱ってゆく自分自身でもある。その小さき者が共に歩むという営みも、肩ひじ張ったものではなく、明るく温かく、さりげなく自然なものでありたい。