『 神の栄光にあずかる希望 』川上牧師

2022年11月6日(日) 召天者記念礼拝
ローマの信徒への手紙5:1-5

「人生が酸っぱいレモンを与えても、何とかおいしいレモネードを作ることはできる。」米TVドラマ“This is us”の中の台詞である。人生における悲しみ、絶望に思える出来事も、時の流れの中で人生の味わいに変えることができる…そんなことを示す言葉だ。

今年も召天者記念礼拝の時を迎えた。今年は10月になって、長く教会を支えて下さったお二人の方を天に送り、とても淋しく残念な思いを抱かされた。

10月4日には細谷啓介さん。現役時代は教員・校長として子どもたちの成長に関わり続けられた。また上毛愛隣社の理事長として、多岐にわたる働きを支えられた。教会では役員として、特に教会の歴史に関する事柄を一手に引き受けて下さった。人生の後半は心臓の病によりいつ発作が起こるか分からない不安を抱えながらの日々であったが、そのことを深刻ぶらず、飄々と人生を楽しむように生きられた。

10月19日には原田ヱク子さん。かつては役員をつとめられ、また群馬いのちの電話の設立に深く関わられた。原田さんの生涯も、若い頃から病気との闘いがあり、何度も生死をさまようような体験をされながら、回復され90歳まで生きられた。ご家族によると「お転婆娘だった」と回顧されるほど、前向きに生き生きと取り組まれた人生だった。

お二人の生涯を振り返りながら、それぞれ「レモネードづくりの達人だった」という思いを抱く。人生はお二人に肉体の病という辛い出来事を与えたが、お二人はその体験をそれぞれの生き様の中で味わい深い物語へと変えてゆかれた。そこには時の流れの力だけではなく、お二人の信仰があったことを思う。

パウロは「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」と語る。誰もが避けたいと願う苦難を、パウロはむしろ誇りとすると言い切る。しかしパウロも最初からそう言えたわけではなかった。

彼には長い間悩ませられた持病があった。その「肉体の棘」を去らせて下さい!と度々神に祈った。そこで神から示されたのは「私の恵みは十分である。力は弱いところにこそ発揮される」という言葉であった。その言葉に支えられて「私は弱さを誇ろう。私は弱い時にこそ強い」と語るのである(Ⅱコリント12章)。

人が弱さを自分一人だけで背負わなければならないと考えるならば、苦難は厳しい試練となる。しかしその弱さの中にこそ神の偉大な力が注がれると信じる時、それは神の栄光を表す経験となるのだ。

それだけでなくパウロには(そして私たちにも)もうひとつの確信が与えられている。それはイエス・キリストの復活だ。十字架の死という最も惨めて苦しい出来事…しかし神はイエスをその苦難の中に置き去りにはされず、復活の命を備えて下さった。そのことを信じる時、私たちは苦難の中にあっても「神の栄光にあずかる希望」を抱くことができる。そして人生が与える酸っぱいレモンからでも、おいしいレモネードを作ることができるのだ。

(召天者記念礼拝)