2023年3月26日(日)
哀歌1:1-36,ルカ20:9-19
イエスの受難予告。イエスに「栄光の歩み」を期待する弟子たちに対して、イエスが示されたのは「苦難の道」であった。今日の箇所は、イエスがその苦難の道を歩む意味を解き明かす箇所である。それは一つのたとえ話の形で語られた。
ぶどう園はこの世界を表す。聖書の文脈ではそれはイスラエルのことである。ぶどう園の主人(神さま)は農夫たち(王、祭司、宗教指導者)にぶどう園を託し、豊かな実りを結ぶよう教え、諭し、導く役割を与えた。
ぶどうの実り具合を尋ねるために、主人から送られる僕は、代々の預言者たちである。ところが農夫たちはこの僕を歓迎せず、むしろ袋叩きにして追い返した。歴代の預言者は王や祭司らの横暴を許さず、批判した。対立する預言者たちを、権力者は弾圧をした…そんな現実が表される。
最後に送られたのは主人の息子。これは神のひとり子イエスを表している。さすがに主人の息子なら敬われるかと思いきや、なんと農夫たちは彼を殺してしまう。そして収穫をひとり占めしようとするのである。
戻って来た主人によって農夫たちは厳しく裁かれる。横暴な権力者・指導者たちは、最後の審判によって厳しく裁かれる…そんなことを物語る譬えである。
この譬えの中でイエスが引用された聖句に注目したい。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」詩編118編の言葉である。詩編では「これは主の御業、私たちの眼には驚くべきこと」という言葉が続く。
「隅の親石」とは建物や石垣を築く時に、四隅に配する土台石、「コーナーストーン」と呼ばれる。熟練の大工が選ぶコーナーストーン、それは安定感のあるゆるがない石が選ばれるのが常である。しかし聖書は、家造りらが「こんな石はいらない」と言って捨てた石が、やがて隅の親石となって建物全体を(世界を)支えると語るのだ。
神戸の教会の牧師をしていた時、ゴスペルクワイアの活動をしていた。アフリカから奴隷として自由を奪われ、差別を受け重い労働を強いられた人々。そんな人たちが生き延びるために歌った歌・黒人霊歌がゴスペルの源流である。ジャズもロックもその源流から生まれた。
打ち捨てられたような人々の残した歌声が、今では世界中の人々に力を与えている…。クワイアの活動でゴスペルの歴史を紹介する時に、いつもこの詩編の言葉を紹介していた。人間が生み出した「差別」という痛ましい現実、しかしその中から人間の魂を救う力強い営みが生まれてくるのである。
イエスの十字架の苦しみ、それはまさに「捨てられた石」そのものである。しかしその捨てられた石が、復活の経験を通して世界の人々を救い支える「隅の親石」となるのである。イエスの十字架の苦しみは、今もこの世界のあちこちで続いている。その苦しみが一日も早く終わることを願うと共に、その苦しみの経験から世界を救う価値観が生まれることを信じたい。