2023年7月16日(日) JAZZ礼拝
ガラテヤの信徒への手紙5:13-14
今日はジャズ礼拝。いつもと違う趣を感じられた方も多いでしょう。ジャズの魅力をひと言で言えば「自由」ということに尽きると思います。音符を完璧に再現するクラシック音楽に比べて、ジャズは楽譜はシンプルなものにとどめ、それを元にその場で自由に即興で演奏する。どちらがいい・悪い、ということではなく、アプローチの違いなのです。
クラシックの人が音符をしっかり見て弾くのに対して、ジャズの人は音符よりもコードネーム(和音記号)を見て弾きます。そのコードにあったメロディなら、どんなメロディを弾くのも自由です。楽譜に音符が書いてなくても、コードだけあれば弾くことができるのです。
もうすこし細かなことで、二つの特色があります。ひとつはリズム。「1・2・3・4」を「タタ・タタ・タタ・タタ」と刻むのでなく、「タッタ・タッタ・タッタ・タッタ」と弾むように刻む「スウィング」というリズムが特徴的です。
もうひとつはコードアレンジ。気持ちよく響く安定した和音の中に、わざと違和感のある音を加えた、不協和音を多用します。その和音一つだけを聴くと、なんとも「ヘンな」音…ところがそれが演奏の流れの中に置かれると、得も言われぬ味わいが出るのです。
人間でも同じことが言えますね。同じような人ばかりが揃うのではなく、ちょっと変わった人、「ヘンな」人がいるおかげで、互いの関わりに味わい・深まりが生まれる…。テンションコードと人間関係はどこか似ている気がします。
そんな「枠に収まらない、自由な」ジャズの演奏に触れているうちに、「これはイエス・キリストが大切にされたことに通じるかも知れない」と思うようになりました。
イエスの時代には「律法主義」という考え方が社会を重たく支配していました。「律法を守った者は救われ、守らない者は裁かれる」そんな意識の律法学者たちが、庶民の生活を監視していたのです。
たとえば安息日。元は仕事を離れて祈ることにより心身を回復する日であったのが、「仕事をしてはならない日」という意味合いが強くなり、人々は息苦しさを感じながら安息日を過ごすようになっていました。そんな中でイエスは自由に飲み食いし、病気の人を癒しました。いずれも安息日規定に違反するものです。
「どうしてあなたは安息日にしてはならないことをするのか」と咎められると、「安息日は人のためにある。人が安息日のためにあるのではない」と答えられました。人間は律法の枠組みに収まるために生きてるのではない。もっと自由に、生き生きと生きるところに喜びがあるのだ、ということを示されたのです。
ただし「自由」には落とし穴があります。私たちのわがまま勝手な心と結びついてしまうのです。イエスはそうならないように、もうひとつ大切なことを教えられました。「自分を愛するように隣人を愛しなさい」。自由から愛<=相手を大切にする思い> が生まれているかどうか…それがジャズの演奏においても、また人間同士が共に生きる歩みにおいても、最も大切なことなのです。