『帰れや、わが家に』川上 盾 牧師

2023年9月17日(日) 恵老祝福礼拝
ルカ15:11-24

『なぜヒトだけが老いるのか』(小林武彦・著)によると、ほとんどの生き物には「老後」はないそうだ。人間以外のの動物は、死ぬ直前まで子を産める。閉経後の「老後」を持つのは、人間とシャチとゴンドウクジラだけ。なぜその3種類が?その理由は子育てにある。おばあちゃんが子育てに加わるのだ。おばあちゃんの「老後」の時間が、種の保存に役に立ったのだ。

「役に立つ」ということ以外にも、「老いる」ということの意味はある。阪神大震災後の神戸の街で、施設の独居老人を訪問するボランティアに関わる人から相談を受けた。「訪ねる人の中に『私は何の役にも立てない、生きている意味がない』とこぼされる方がいる。何と言葉をかけたらいいでしょう?」そのように問われた。

非常に困った質問だったが、とっさにこう答えた。「『役に立たないから必要ない』と言ってしまったら恐ろしい社会になるでしょ?私たち人間はそうならないように互いに支え合って生きてきたんじゃないでしょうか。だから『お世話をさせて下さい。私にとって必要なことなんです…』そう言われたらどうでしょう」。誰かの役に立つ以外にも、誰かの「お世話になる」ことも大切な営みだと思う。そこで培われてきた人間性があるはずだ。

この夏、教会の二人の先輩を天に送った。ひとりは若くして洗礼を受けたが、人間関係の躓きで長らく礼拝から離れてしまい、人生の晩年になって再び礼拝に通われるようになった方。もうひとりは人生の最盛期には教会に関心は示されず、還暦を超えて教会に通い始め71歳で洗礼を受けられた方。それぞれ人生の晩年になって、神さまのもとへ帰ることを願って教会に来られたことと思う。

今日の箇所はよく知られた「放蕩息子のたとえ」。イエスが徴税人や罪人たちとばかり交わられるのを見て、「何であんな相応しくないヤツらと?」と非難する律法学者たちに向けて、イエスはこの譬えを語られた。

父の財産を使い果たし、父の思いを裏切り続けてきた放蕩息子。父の祝福から最も外れてるように思える存在だ。しかしその息子が悔い改めて父のもとに帰ろうとするのを、父は拒まず心から喜んで迎えて下さる…どれだけ言うことを聞いたか・忠実だったかなどと条件付けをせず、ただ帰ってくるのを喜んで下さる…その神の愛を信じて「帰れや、わが家に!」とイエスは教えられる。

僧侶であり宗教学者の釈徹宗さんが、かつてこのように言われたことがあった。「すべての宗教が最後に語るべき言葉は『おかえり』だと思うのです」。さすが、釈先生!と、深く共感を覚えた言葉であった。神さまは、何か条件付けをして「この人はOK、この人はNG」などと分け隔てをなさるような方ではない。どんなに離れた期間があったとしても、入り口に立ったのが遅くても、「ただいま」と帰ってくる者を「おかえり!」と言って迎えて下さる方である。そのように信じて、全てを神さまに委ねよう。