2023年10月15日(日)
創世記6:5-8,ルカ17:20-37
今日の旧約の箇所はノアの箱舟の物語。人間の罪が増え続けるので神が洪水を起こし、これを一掃される…ただし信仰深きノアと家族だけは難を免れた…そんな話である。「洪水のような自然災害は人間の罪に対する神の罰」といった考え方には大きな抵抗を感じる。
しかし近年の地球温暖化による災害の多発を見ると、人間の強欲(罪)が招いたという側面も否定できないとも思える。そんな中で私たちがすべきこと、それは自分たちだけ助かるための箱舟を作ることではなく、災害の原因となっている自らのありようを改めることではないか。
新約ではノアの洪水やソドムとゴモラの滅び(天からの火)が、神の国の到来の前触れとして描かれている。「神の国」とは、神の救いがもたらされる世界のことである。イエスは「神の国はあなた方の間にある」と言われた。「あの世」ではなく「この世」にもたらされる救いの出来事、という意味だ。
聖書の伝える神の国には二つのイメージがある。一つは今日の箇所のように、天変地異の出来事と共に裁きが訪れ、その後に神の国が来る、というものだ。これを「一気呵成の神の国」と名付けよう。
もうひとつは、最初は小さいけれどだんだん広がっていく…というイメージだ。イエスの「からし種のたとえ」はそんな神の国を表している。「じわじわ広がる神の国」である。どちらがイエスの思いに近いだろうか?
思い起こすのはイエスとバプテスマのヨハネのやりとりだ(マタイ11章・ルカ7章)。「来るべき方はあなたなのですか?」とヨハネは問う。これは「一気呵成の神の国」をもたらすメシアを待ち望む思いだ。
これに対してイエスは「病人や身体の不自由な人が癒され、貧しい者が福音を聞かされている、その現実を見なさい」と答えられた。小さなところにもたらされている救いの出来事を見よ、神の国はそこから始まっているのだ…「じわじわ広がる神の国」だ。
天変地異と共にやって来る神の国を待望するのではなく、身近な小さなところから始まっている神の救いを大切にしなさい…そんなことをイエスは教えておられるのではないか。災害による世界の苦しみを、「罪に対する罰」と決めつける発想は改めたい。
むしろ私たちは「神の国はあなたがたの間に」と言われた言葉を大切に受けとめたい。それは最初は目にもとまらない小さなものかも知れない。しかしそれは確実に届けられ、信じる人々によって少しずつ世界に広がってゆく…そんな神の国を信じたいと思うのだ。
世界の現実はとても厳しい。戦争や対立、環境問題といった大きな課題に、私たちの小さな力など何の役にも立たないような思いを抱かされる。それでも「神の国は来る!」そう信じ、小さな力を携えてイエスに従う者でありたい。