2024年1月21日(日)
出エジプト3:12-17、ヨハネ2:1-11
カナの婚礼の物語、ヨハネ福音書での最初の奇跡物語である。「三日目に…」と記されているところから、象徴的な解釈が生まれた。「三日目の奇跡」、それはイエスの復活と結びつく、という解釈である。
今回、改めてこの物語を読んで、「ひっかかり」を感じる部分があった。その視点から、上記とは別なる解釈を試みてみよう。婚宴の席でぶどう酒がなくなったことをマリアは心配している。彼女は招く側の人だったのだろう。イエスに「ぶどう酒がなくなりました」と言う。「なくなったので手に入れてきて…」と頼んだわけではない。ぶどう酒がなくなった事実だけを伝える。そうすればイエスが何とかしてくれると思ったのだろうか。
イエスは「婦人よ、わたしに何の関係があるのか」と答えられた。何とも他人行儀な、冷たい返事のように思う。このあたりに、イエスと母・マリアとの微妙な親子関係を感じてしまう。私自身が昨年亡くなった母との間に微妙な関係を持って生きていたことから、そのような「ひっかかり」を感じるのかも知れない。
つれない返事をいったん返したイエスであったが、マリアはもっとしたたかだ。召使いたちに「この人が何か言ったら、その通りにして下さい」と告げる。「口ではあのように言ってるけど、実際は何とかしてくれるに違いない…」そんな思いがあったのだろうか。表面的にはすれ違っているようでも、深いところでは信頼している…そんな母の姿を想像する。
母の思いに応えるように、イエスは水がめに水を汲むように命じられた ― するとそれが極上のワインに変わった…という奇跡物語である。今回の「ひっかかり」から改めて思うのは、母のイエスへの信頼がこの奇跡を導き出したのではないかということだ。
マタイ福音書に「二人の兄弟のたとえ」がある。父から農園で働くことを求められて「いやです」と言った兄は、あとで考え直して働きに行った。同じように言われて「わかりました」と答えた弟は行かなかった。私自身は兄のようなマインドの人間である。そして今日の箇所のイエスにも同じものを感じるのだ。
私たちもその時の気分でつれない返事をしてしまい、気まずい状況を作ってしまうことがある。人からものを頼まれて無下に断ったけど、後で「やっぱり応えた方がよかったかな…」そんな後悔が沸いてくる…。そんな気持ちに気付いたならば、なすべきことは簡単だ。「あとで考え直して」実行に移せばいいだけだ。
一度口にしたことを撤回することは気まずいことかも知れない。しかし私たち人間は、出エジプト記の昔から「神さまがあとで考え直してくれたおかげで救われた存在」なのでである。奴隷状態から救い出されたにもかかわらず、常に神を裏切り続けてきたイスラエル。神はその度罰を告げるが、あとで考え直して、赦し、救って下さった。イエスも「あとで考え直して」水をワインに変えられた。私たちも「あとで考え直す」大切さを学ぼう。