『私はあなたの名を呼ぶ』 川上牧師

2024年3月17日(日)
イザヤ43:1-5, エフェソ2:17-22

今日は「これからの前橋教会について語り合う懇談会」、略して“カラコン”の第1回目である。このような企画を立てるに至ったのは、コロナ後の状況にどう向き合っていくか、みんなで話し合いたいと思ったからだ。

コロナ状況は私たちの教会活動への意欲を減衰させた。感染拡大期には仕方がなかったとは思うが、新たな局面を迎えてもなお、「何でもコロナのせい」にして億劫になっているところがありはしないか。そうであるなら、それは「困ったことだ」と思う。

これからの前橋教会について、役員会だけでなくいろんな人が語り合う中から道筋を定めていきたい...そんな願いから立てられた企画である。

コロナ後に向けての教会の課題は多岐にわたる。これからの伝道について、信仰の継承について、社会との関りについて、そしてそれらを支える財政等々。そんな中定められた第1回目のテーマは「隣の人を知りましょう」。目指すのは礼拝に集う私たちの相互交流の進展である。

本日の座席は受付順に区分けをし、いつもの「定席」以外のところに座ってもらった。その上で近くの方同士で簡単な自己紹介をしてもらった。普段一緒に礼拝に出席しながら、名前も知らない人がいるのではないか。それが「名前を呼び合える関係」になれればと願っている。

名前を呼び合う関係、それはささやかではあるが、とても大切な営みであると思う。それは神さまが私たちの命を作り守り育てて下さる、その恵みにもやがて重なる営みだと思うのだ。

「ヤコブよ、恐れるな。私はあなたを愛している。私はあなたの名を呼ぶ。」(イザヤ43:1,5)イスラエルの人々に向けて語られた、神の言葉である。「あなたの名を呼ばれる神」、それが聖書の差し示す神の姿である。

ひとりひとりの名前。それはただ単なる記号ではない。そこにはその人自身の生きてきた人生が滲み出ている。その名前を呼び合う関係、それはそれぞれの持っている人格を尊重し合う交わりの、その入り口となるものではないか。

神さまがひとりひとりの固有の名前を呼んで下さるのに、その神さまを礼拝する私たちが、お互いの名前を知らない・知ろうとしない...それでいいのだろうか?中にはあまり親密な交わりは得意ではないという人もいるかも知れない。けれども、せめて名前を呼び合う関係くらいは大切にしたい。

パウロはエフェソの教会への手紙の中で、教会の交わりは「神の家族」だと語る。キリストを要石として建てられた建物のようだ、とも記している。イエス・キリストもまた、ひとりひとりを「その名を呼ぶ」という形で、即ち固有の人格を尊重する形で関わっていかれたことだろう。

そのキリストに従う私たちも、ひとりひとりの人格を大切にして迎えるものでありたい。「私の目にはあなたは貴く、私はあなたを愛している」と呼びかけられる神の愛に、私たちも応えよう。