『 あなたの夢をあきらめないで 』

2015年5月17日(日)
エゼキエル書43:1-7、使徒言行録1:3-11

先日5月14日(木)は、「昇天日」。イエス・キリストが復活の後40日間弟子たちに教え、その後天に昇られた日である。イエス・キリストの昇天。それは弟子たちにとって、再び「師の不在」の状況を歩まねばならないという出来事であった。

その時の弟子たちの心情は、どのようなものだっただろう?聖書には二つの伝承が記される。ルカによる福音書ではイエスの昇天を見届けた弟子たちは「大いに喜んだ」とある。本当にそうだろうか?と思ってしまう。上下巻の上に当たるルカでは、第一巻をしめくくるにあたり、イエスの復活の喜びの方に強調点が示されていたのかも知れない。

これに対して、使徒言行録の記録の方が実情に近いように思われる。イエスが天に昇られた後、弟子たちは天を見上げていた。すると白い衣を着た二人の人(天の使い)が現れて、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」。呆然自失状態で、放心したように天を見上げている弟子たちのイメージが浮かび上がる。

痛恨の十字架の出来事のあと、復活の使信によって「イエスのいのちは終わっていない」と知らされたものの、そのイエスが再び不在となる中で感じる不安や淋しさ、心細さ。そんな思いが弟子たちの心を支配していたに違いない。

そんな思いを抱えながら天を見上げる弟子たちに、み使いは告げる。「イエスは再び来られる。この地上に。この現実の中に。」昇天前にイエスが語られた言葉は「あなたがたは聖霊を注がれ、力を受け、地の果てまでわたしの証人となる」。これらの言葉を合わせれば、次のようなメッセージが浮かび上がる。

「イエスが消えてしまったその影を、過去の懐かしさに浸りながらただ見つめるのではなく、自分たちの前にある現実の中を、イエスが再び来られるまでの間しっかり生きていきなさい。消えてしまったイエスを見つめるのはやめて、イエスが指し示したものを見なさい」。

イエスが指し示したもの、それは神の愛によってすべての人が尊ばれる世界、即ち「神の国」である。かつてイエスと共に夢見たその神の国を、今度はあなたがたの力だけで求めていきなさい、ということだ。「あなたの夢をあきらめないで。」それがみ使いの告げるメッセージではないだろうか。

かつてバビロン捕囚によってエルサレム神殿が破壊された後、みんながあきらめの思いに沈んでいた時、エゼキエルは神殿の再建の幻を、しかも具体的に、こと克明に語った。M.L.キング牧師は、まだまだ黒人差別が根深い1960年代のアメリカで、「私には夢がある!」と語り、白人と黒人の子どもたちが共に食卓を囲む世界を夢見た。「そんなことあり得ないさ…」とうそぶく人もいる、そんな状況の中で、それでも夢をあきらめなかった人たち。そんな人々によって、新たな歴史の扉は開かれていくのである。