2024年8月4日(日) 平和主日
ヨハネの手紙Ⅰ4:7-12
パリで平和の祭典・オリンピックが開幕した。しかしウクライナやパレスチナでは戦争が続いている。世界の世論はそれぞれの戦争に反対の声が多いが、それでも戦争を止めることはできない。
このような「現実」を見る時に、「日本も戦争放棄を謳った憲法9条を改正し、再軍備すべきだ」という声が強くなる。敵対する勢力を上回る、少なくとも同等の戦力を持たなければ、平和を維持することはできない...「お花畑」の9条を無くして、もっと「現実的に」考えるべきだ...というのである。
しかし日本が「仮想敵国」lと言われる国(どことは言わない)と同等の戦力を持つためには、今の4倍の軍事費(現在は8兆円→30兆円)と、9倍の戦闘員(今は23万人→200万人)が必要になる。それだけのお金と人を配置して、南洋の無人島(ほとんど岩)を取り合っている...それが本当に「現実的」なのだろうか。
そこで言われる「現実」とは、世界の出来事ののごく一部を切り取った現実だ。この地球上で起こっているより多くの「現実」とは、人と人とが協力し合い暮らしている...時には対立することはあっても何とか折り合いをつけて生きている...そしてこの地球という宇宙の中の「奇跡の星」に守られ生きている・生かされている、という現実である。私たちはそんな「現実」にこそ大切に目をとめたいと思う。
「この世界は神によって造られた」、それが聖書の信仰の原点だ。そしてその世界は「きわめて良かった」(創1:31)ものとして造られた。地球という星に湛えられた見事な調和、それこそが神のシャローム(平和)である。
ではその世界は、なぜ・どうして造られたのか?「それは神の愛によって造られたのだ!」、それがヨハネの手紙からのメッセージである。神は愛する対象として世界を(人間を)造られた。そしてその愛する世界(人間)のために、イエス・キリストを遣わされたのだ。
「神の愛こそこの世界の根拠である」、そう信じる時、私たちが大切に目にとめるべき「現実」が見えてくる。私たちは互いに憎み合い、殺し合うために生まれてきたのではない。神の愛を受け、生かされている者同士、互いに愛し合うために生まれてきたのだ。
「愛し合う」とは、仲睦まじく仲良く暮らすことばかりとは限らない。中にはどうしても仲良くできない相手もいるだろう。しかしその人を「好き」にはなれなくても、「大切にする」ことはできる。相手の存在を認め、向き合って共に生きることである。そうすれば、対立する相手との間でも、平和をつくり出すことはできるのではないか。
今日は平和主日。「世界の平和のために...」というと、縁遠いテーマに感じるかも知れない。まずは自分の身の回りから始めよう。私たちが出会うすべての人たちと、たとえ苦手な人があったとしても、その存在を認め、大切にする(愛し合う)。そうして共に生きようとするひとりひとりの生き様の、その行く末に「神の平和・神の国」がやって来る...それがイエス・キリストの教えである。