2024年11月17日(日)
申命記18:15-22, マタイ5:38-48
11月5-7日の日程で、群馬・新島研究会の主催する熊本ツアーに参加してきた。同志社の草創期に大きな貢献を果たした「熊本バンド」のルーツをたどる旅である。前橋教会の創立に深くかかわった蔵原惟郭、海老名喜三郎(弾正)、不破唯次郎の3人は、熊本バンドのメンバーである。
1876年、新島襄が京都に同志社英学校を開校して間もなく、熊本から大量の転校生が入学してきた。その年に廃校となった熊本英学校の優秀な学生たちで、同志社の宣教師は「熊本バンド(熊本の連中)」と呼び一目置いて受け入れた。彼らが熊本から京都に移ったのには、時代の情勢が関わる数奇な運命があった。
熊本英学校は明治開国に向けて西洋式教育を授けるために開かれた官校。その学校の教師として招かれたジョーンズは熱心なクリスチャンであった。その感化を受けた学生たちの中から35名がクリスチャンとなる決意をし、花岡山という所で決起集会をした。
これが熊本で大問題となる。江戸時代は禁教だったキリスト教、その禁制が解かれたのが1873年。まだまだ偏見・警戒が強い時代である。「官校で学ぶ学生がヤソになるとは何ごとか!」と非難が相次ぎ、英学校は閉鎖されてしまった。
ジェーンズは何とか学びを続けさせたいと思い、画策したのが開校間もない同志社への転校であった。これは同志社にとっても朗報だった。開校したもののいまイチパっとしなかった学校が、にわかに活気だったのだ。このことがその後の同志社の発展に大きく関与したと言われている。
このような経緯はこれまでも聞いて知っていた。しかし今回のツアーで驚きの事実を知らされた。熊本バンドの学生が京都へ移って間もなく、熊本では『神風連の乱』という大事件が起こる。尊皇派の旧士族たちが「西洋かぶれ」の要人を襲撃したテロ事件である。もしも熊本バンドの学生たちがまだ残っていたら、きっと対象となり殺されたに違いないというのである。
ほんの1ヶ月ほどの時間のズレ。そのお陰で学生たちは難を逃れ、同志社に移り、明治初期の教会指導者となってゆく...。改めて歴史を導かれる不思議な神のご計画を思わずにはいられなかった。
熊本バンドの学生たちに感化を与えたキリスト教のメッセージとは何か。例えば今日のマタイ5章などもそのひとつであろう。「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」「あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」。それまでの藩校教育では聞いたことのない言葉に、強烈な衝撃と、違和感と、そしてえもいわれぬ魅力・憧れを感じたのではないだろうか。「これを教えた“ヤソ”(イエス)とは何者だ?」この問いが、やがて熊本バンドの活躍につながってゆく。
そのようにして立てられた預言者3人(蔵原、海老名、不破)によって前橋教会の礎が築かれてゆく。不思議な神のご計画によって、私たちの教会もまた導かれているのだ。