『 最も大切なもの 』 川上牧師

2024年12月1日(日) アドヴェント第一主日
イザヤ2:1-5、ローマ13:8-14

何がホンモノなのか?何が最も確かなものなのか?それを見極めるのが困難な時代である。ITの発達、SNSの拡大によって、情報伝達のスピードは飛躍的にアップした。それは便利さをもたらしたが、一方ではフェイクニュース・ニセ情報の類が飛び交い、それに振り回されて道を見誤ってしまうことになりかねない。それを見極めることのできる「軸」を持つことの大切さを思う。

今年もアドベントを迎えた。混迷と不安の時代に、まことの光をもたらすために来られたイエス・キリストを迎える準備の時だ。最も確かなものは何か?それを聖書から示されながら、救い主を迎える準備の時を過ごしたい。

イザヤ2章はアッシリアの脅威が忍び寄る南王国・ユダにおいて、現状に振り回されることなく、やがて訪れる終末の出来事について語っている。そこでは神が勝利し、すべてを支配される. . .そんな幻に続いてこう語られる。「剣を鋤に、槍を鎌に打ち変え、人々は闘いを学ばない」。

NYの国連本部前にある「イザヤウォール」に記される言葉である。争いの道具である武器を、命を支える道具である農具に変える。我らの信じる神は、命を殺す側ではなく、命を守り育む側に立たれる神である. . .そんなメッセージを伝える言葉である。「命の側に立つ」、これを聖書が示す「最も確かなもの」と受けとめたい。

新約はローマ書のパウロの言葉。私たちを本当の喜び・救いに導くのは何かを示してくれる言葉だ。「愛は律法を全うする」とパウロは語る。元ファリサイ派の律法学者のパウロが、そのように語ることの意味を思う。

ユダヤ人のエリートとして、律法主義のエリート教育を受けたパウロ。律法の条文を完璧に守ることが救いに至る道だと説き、自身も実践していた。そして、時に律法から自由に振舞うイエスやその弟子たちを、激しく憎み迫害していた。しかしそんな自分の生き方の「つめたさ・むなしさ」を心のどこかで感じていたのではないか。

そんなパウロがイエスに出会う。実際に会ったというよりも、その生きざまに出会ったということであろう。そこで出会ったイエスの姿は、人を冷たく切り捨てずとことん大切にする姿であった。そしてその愛を貫き通したために十字架に架けられてしまったのだ。

パウロは衝撃を受ける。そしてそれは次第に感激に変わって行く. . .その時の心境をフィリピの手紙の中で「自分にとって有利であった経歴も、キリストに出会った素晴らしさを知った今は『塵あくた(大便)』と思っている」と記す。

パウロはイエスの何に心を動かされたか?それは「愛」すなわち「人を大切にする心」である。「愛が最も大切なものである」. . .それがパウロの伝える「最も確かなもの」である。

分断と対立が煽られ、何が真実か見えにくいl混迷の時代にあって、今日の聖書からのメッセージを軸に据えたい。「命の側に立つ」そして「愛が最も大切」ということ。それが私たちの信じる「最も確かなもの」である。