「 安らかに信頼すること 」

2025年3月2日(日)
イザヤ30:15-17, マタイ14:22-33

混乱の中で不安と動揺が広がる. . .そんな時は、その人が何者であるか、普段何を考えて生きているか、その本性が現れる。

子どもが小さい頃、少し大きな地震があった。私は思わず妻・ゆり子に「早く!子どもを守れっ!」と叫んだ。机の下から. . .。何のことはない、咄嗟の時には子どもよりも自分の身を守る「情けないヤツ」だということがはしなくも露呈してしまったということだ。

突然の危機の時にどう振舞うか. . .。今日の旧約(イザヤ30章)にはそのことが記されている。敵対するアッシリア軍が押し寄せるという中で、「走って逃げよう、馬に乗って逃げよう」と慌てふためいて行動する者は、逆に追われることになる、と警告する。それはまことの信仰者の姿ではない、と。

ではどうすればいいのか?イザヤは語る。「立ち帰って静かにしているなら救われる。安らかに信頼するところに力がある」と。敵が攻め込んでも逃げてはいけない、ということか?地震で机の下にもぐって身を守るのはよくないというのか?そうではない。

問題はそのような行動を起こす時の「心のありよう」なのだ。慌てふためき、うろたえ、焦って行動する. . .それは結局「自分の力でなんとかしよう」としている姿だ。そこに留まる限り、安らかな信頼の境地は訪れない。

自分の力で何とかしようと行動するのではなく、神に信頼し委ねながら行動する. . .。実際には逃げもいい、急ぎ行動することがあってもいい、けれども心の中は安らかに安心しながら事に当たること. . .これは咄嗟に出来ることではない。普段から自分を過信せず、神に委ねて生きようとしているか. . .それが咄嗟の時に現れるのである。

新約はイエスと弟子たちとの舟の上、湖の上での一コマ。イエスが弟子たちだけを舟に乗りこませて向こう岸に行かせ、自分は祈るために山に登られた。舟は強い風に阻まれて、航行に難儀していた。プロの漁師がいたにも関わらず. . .。

するとそこにイエスが水の上を歩いて近付いて来られた。最初弟子たちは幽霊だと思い恐怖を覚えたが、イエスだと分かると安心し、ペトロに及んでは水の上を歩いてイエスに近づくことができた。ところが強い風を思い出し不安がよぎると、沈みそうになった。イエスは「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか!」とたしなめられた. . .。

このエピソードには混乱の中で不安と動揺を覚える人間の姿が象徴されている。舟が沈みそうになる苦難の時も、共におられるイエス、天から見守る神を信じて、委ねて歩む大切さが示されていると思うのだ。

第2時大戦中、ナチスに抵抗した『告白教会』の一員であったK.バルトは、ナチス時代から冷戦期までの困難な時代を「楽しんで生きた達人」と評価される。彼のモットーは「力強く、落ち着いて、ユーモアをもって」ということであり、「治められているよ」というのが口癖だった。だからこそ苦難の中でもうろたえず、安らかに信頼し、そしてユーモアをもって世界と向き合えたのだ。

いま私たちの生きる世界の情勢も、混乱と不安に包まれている。しかしその中を決してうろたえず、安らかに安心して、そしてユーモアを持って歩みたい。