2025年3月9日(日)
ヨエル2:12-14, マタイ4:1-11
今年もレントを迎えた。自らの罪を悔い改め、今日の旧約の「今こそ、心からわたしに立ち帰れ。断食し、泣き悲しんで。衣を裂くのではなく、心を引き裂け。」(ヨエル2:12-13)との聖書の言葉に身を寄せる者でありたい。
新約はイエス・キリストが宣教を始める前に、荒れ野でサタンの試みに遭われた箇所だ。イエスはここで3つの誘惑に打ち勝たれる。①石をパンに変える誘惑. . .肉の欲求(空腹)に従う誘惑. . .これを今日のテーマとしたいので、あとで触れる。
②神を試す誘惑。神殿の屋根から飛び降りても、神の子ならば助けられるはず. . .イエスは「あなたの神を試してはならない」(申6:16)の言葉で打ち勝った。③権威・権力を手に入れようとする誘惑。「私を拝めば世界の栄誉を与えよう」というサタンの誘惑に、イエスは「ただ神のみに仕えよ」(申6:13)との言葉で打ち勝たれた。この3つの誘惑に打ち勝つこと、それがこれから宣教活動を始めるイエスにとって必要なことだった。
さて最初の誘惑である。まず確認したいのは、イエスは決してパン(食べ物)を軽んじたのではない、ということだ。五千人の共食や、人々と食卓を共にする姿を聖書は記し、「大食漢で大酒飲み」と噂されたことは、イエスがどれだけ「共に食べる」ことを大切にしておられたかを物語る。
イエスがサタンに返した「人はパンだけで生きるのではなく、神の言葉で生きる」(申8:3)という言葉も、もともとはマナの奇跡のところで語られたものだ。マナ(天からのパン=食物)を神は与えて下さる...その上で、み言葉で心をも養われるという意味だ。
ではこのやりとりをどう受けとめればよいのか。こう考えたらどうだろう。イエスは「パン〈だけ>に頼る生き方〉、「パン(食べ物)を手に入れるためには手段を選ばない」という生き方を戒めておられるのだ、と。
現代では、人間は本当に石をパンに変えて生きている。奇跡物語ではない。科学技術によってである。レア・アースを彫りまくり、ウラン鉱石による発電で利益を得て、自らの欲望を満たしている。そのために争いが起ころうが、環境が破壊されようが、危険な廃棄物が出ようが、「関係ない!」とばかりに. . .。
神学者ドロテー・ゼレは「人はパンだけで生きるのではない。それどころか、パンだけによる生き方は死を意味する」と言った。どういうことか?「生きるためにはパン(食べ物・お金)が必要だ!」そううそぶいて、戦争を起こし、自然環境を破壊し、隣人が苦しもうが「自分には関係ない」. . .そう言って自分のことだけを考えて生きる・生き延びる. . .それは人として「本当に生きている」と言えない姿だということだ。
私たちに本当の生きる喜びを与えてくれるもの. . .たとえば愛、思いやり、優しさ、勇気、謙遜、赦し、そして自らの罪を悔い改めるこころ. . .それらのものはお金(パン)を積んでも手に入れることはできない。私たちにとって、それは聖書に記された「神のことば」によって与えらえるのである。