2025年3月23日(日)
マタイ16:13-28
「あなたがたは私のことを何者だと言うのか」、イエスから問われて、ペトロは答えた。「あなたこそメシア、生ける神の子です!」するとイエスは「あなたは幸いだ。あなたの上に教会を建てよう。あなたに天国の鍵を預けよう」と言われた。渾身の信仰告白に対して、最大の賛辞をかけられた. . .ということか?
“ペトロはイエスから天国の鍵を授かった”…この理解を基にした、世界最大の宗教集団がカトリック教会である。初代の教皇がペトロであり、歴代の教皇はペトロからその鍵を受け継いでいる…そんな理解がある。
この考え方に基づいて、中世では教皇がローマ帝国の皇帝よりも大きな権力を握る時代があった。権力争いによって破門された皇帝が、教皇に土下座をして赦しを請うた「カノッサの屈辱」が有名だ。
強大になり過ぎた教会はその権限を用いて「免罪符」により巨額の富を得ようとする。歪んでしまった教会の姿を告発したのがM.ルターの宗教改革である。いつの世も、権力を手にすると、人間は過ちを犯してしまうのであろう。
このような「勘違い」の源が、今日の箇所かも知れない。「私はこの岩(ペトロ)の上に教会を建てよう」…このイエスの言葉はどういう意味なのだろうか。「あなたこそメシア(キリスト)です!」と「正しい」信仰告白をした「立派な」ペトロの上に、教会を建てる…そういうことなのだろうか?
この直後になされた、イエスの受難予告では「そんなはずがありません」と言ってイエスを諫めようとしたペトロに対し、イエスは「あなたは神のことを思わず、人のことを思っている」と、その無理解を叱責された。さらにはイエスが十字架に架けられるため捕えられる際には、「あなたは私のことを3度知らないと言うだろう」と予言されている。自己保身のためにイエスを裏切ってしまうペトロの弱さを、イエスは知っておられたのだ。
そんなことを分かった上で、イエスはペトロに「あなたは幸いだ。あなたの上に教会を建てよう」と言われるのである。強くて素晴らしいペトロ…ではなく、弱くて無理解なペトロに対して…。しかし、決して立派ではないが、イエスから「あなたは私を何者と…」と問われ、ペトロは不完全ながらもひたむきに答えようとした。その一途な思いに、イエスは信を置かれたのだ。
はたしてイエスの預言通り、肝心の時にペトロはイエスを裏切ってしまう。しかし鶏の声でそのことに気付いた彼は、「外に出て激しく泣いた」と記される。恐らくそこからである、彼が変わっていったのは。不完全ながらも、その後初代教会の指導者として歩み通し、最後はイエスと同じように殉教したと伝えられる。それは強大な力を持った権力者の姿ではない。弱いながらもイエスの信頼に応えようとする姿である。
「あなたの上に教会を建てよう」― イエスは私たちにもそう呼びかけられる。私たちはその招きに「正しく立派に」応えなくてもいい。不完全でもひたむきに、一途に応えればいいのだ。