2015年10月18日(こども・おとな合同礼拝)
ルカ19:11-27
今日の礼拝は新島学園高校2年生のTくんがオルガン奏楽をして下さっています。Tくんは実はピアノの名手です。その才能を教会の合同礼拝のために用いてくれています。
「Tくん、ありがとう!」
今日の聖書の箇所は、イエスさまのたとえ話です。『ムナのたとえ』。ムナというのはお金の単位です。1ムナはだいたい50万円くらいということです。ご主人さまは旅に出る時10人の人に1ムナずつ与えて言われました。「わたしが帰ってくるまでにこれで商売をしなさい。」主人が旅から帰ると、一人の人は10ムナを儲け、別の人は5ムナを儲け、それぞれ主人から褒められました。ところが一人の人はなくさないように布に包んで大事に取っておいた。すると主人はこの人を「悪い僕だ!」と言って叱られたというのです。
僕は子どもの頃、このたとえ話が不思議に思えてなりませんでした。お金を儲けた人が褒められるのはまだわかるけど、布にくるんで置いていた人もお金を失ってしまった訳ではない。商売に失敗してなくしてしまうことを考えれば、むしろ手堅い人だと言えるかも知れない。どうしてこの人が叱られるのか、納得がいきませんでした。
でもこのお話は「お金儲け」の話ではありません。「ムナ」とはお金ではなく、別のものを譬えているのです。マタイ福音書にも同じお話がありますが、こちらは「ムナ」ではなく、「タラントン」というお金の単位になっています(1タラントンはおよそ3000万円)。これは「タレント(才能)」という言葉の語源になっているものです。つまり「ムナ」や「タラントン」というのは、神さまがひとりひとりに与えてくれた才能(賜物=たまもの)のことなのです。「神さまが与えられた賜物を、活かして用いなさい。布にくるんでしまっておいたり、土の中に埋めてしまってはいけないよ。」というのがイエスさまのお話の意味です。
では、賜物を用いようとして、失敗したらどうなるのでしょう?「ムナ」や「タラントン」を用いて儲けが出ればいいけれど、もし失ってしまったら?神さま、イエスさまはそれを叱られるのでしょうか?
僕は、それでも神さまは褒めて下さる、イエスさまは喜んで下さると思うのです。
ワールドカップラグビーの南アフリカ戦、日本チームは終了間際、ペナルティキックで同点・引き分けを狙わずに、トライを取って逆転勝利することを目指しました。結果はうまくいって勝利しましたが、もし失敗して負けていたら?それでもエディ・ジョーンズ監督はその挑戦を喜んで褒めてくれたのではないかな、と思います。
神さまはひとりひとりの人間に、その人にふさわしい力を賜物として与えて下さっています。大切なのは、賜物を用いてより多くのものを儲けることではないのです。失ってもいいから、それを活かして用いようとする。その姿を神さまは、そしてイエスさまは、心から喜んで下さるのです。