『 あなたに出会えたから 』

2015年12月27日(日)
マタイによる福音書2:1-12

今年のCSクリスマス・ページェントは、「これもさんびか」から新曲がいくつか選ばれた。特に星に導かれて旅する博士の歌『大きな星』は、ページェントの雰囲気をとても“ポップ”なものにしてくれた。数多くあるクリスマスの賛美歌の中で、博士(占星術の学者)のことを歌ったものは、あまり多くはない。そんな中でこの『大きな星』は、子どもたちのための歌として出色の作だと思う。

マタイの降誕物語によると、博士たちが東の星を見てこれを「新たな王の誕生」の知らせと受けとめた時、彼らはまずヘロデの王宮を訪ねる。「新しいユダヤ人の王としてお生まれになった方ならば、その誕生の場所はきっと王宮であろう…」との判断がそこにあったのだろう。力ある者、権威を掲げる者のところに、神の救いもまた現れる… そんな考えに基づく判断と言える。

これは痛恨の出来事であった。なぜならこの博士たちの知らせを聞いて、ヘロデは「自分の立場を危うくする者が現れる…」と不安を感じたからだ。その後ヘロデが幼児虐殺を企てる、その惨劇の発端がここにあると言えるからである。いかに高度な天文学に関する知識を有していたとはいえ、彼らの判断は間違っていた… そう言わざるを得ないだろう。

けれども彼らはベツレヘムを訪ね、幼な子イエスに出会うと、ヘロデのもとに帰らず「別の道を通って」帰って行った。「夢でお告げがあった」とあるので、彼らの自発的行為ではないとも言えるかも知れない。しかし、幼な子イエスに出会って彼らが取った行動がある。

「彼らはひれ伏して幼な子を拝み… 黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」と記される。黄金は「力・権威」、乳香は「祈り」、没薬は「死」と、それぞれ象徴的な意味があるとも言われる。しかし今日は、「宝の箱を開けて…」という言葉に注目したい。黄金も乳香も没薬も、いずれも高価なものであり、それは彼らの研究や旅のために必要な財産だった。しかしその「宝もの」を彼らはイエスに献げるのである。「もう、宝ものはいらない」と。

それは、イエスとの出会いこそが本当の宝ものであると気付いたからではないか。宝ものに執着する心、それは力や名誉や富にひれ伏す心と通じる。かつて一度はそのような判断に身を委ねた博士たち。しかしイエスと出会うことでその生き方が変えられたのである。すでにここに「別の道を通る」彼らの歩みが始まっている。

イエス・キリストと日々新たに出会うことによって自分自身が変えられる… それこそが私たちが毎週の礼拝をささげる意味であり、目的である。自分の思いだけで独りよがりに歩んでいると道を間違ってしまう私たち。そんな私たちに「別の道」を示してくれるのが、イエスとの出会いである。