『 生命(いのち)の回復 』

2016年6月26日(日)
ホセア14:2-8,使徒言行録9:36-43

私たちは生きる上で、いろんなストレスを抱えながら生きている。もともと人間の暮らしを守るために備えられたストレス反応。しかしその際に分泌されるホルモンによって、人間の心身が蝕まれるという逆転現象が起こっている。「キラーストレス」によって、がん細胞が急激に増殖したり、細菌を悪性化し突然死に至らせるケースもあるという。

このストレスへの対処法が3つあるという。①適度な運動。それによって、ストレスホルモンを分泌する偏桃体の反応を抑える。②コーピング(「対処する」の意)。自分にとって「ストレス解消になる」という方法を100個ほど書き出し、ストレスを感じた時それを思い起こす。③マインドフルネス瞑想。過去や未来の心配から離れて、瞑想することによって「今」に集中する。

①と②は、誰しも自分の経験の中で何らかの対処をしたことがあるだろう。これに対し、③のマインドフルネス瞑想においては、宗教の果たす役割も大きいだろう(仏教の座禅、ヨガ、カトリックの瞑想など)。プロテスタントはどちらかというと理屈先行、頭でっかちの傾向があるかも知れない。

今日の新約聖書の箇所は、タビタという女性が突然亡くなってしまったがペトロによってよみがえらされた出来事である。「死者の復活」という出来事は、聖書においてはイエスの復活だけが唯一のものではない。タビタの他にも、ラザロ、会堂長の娘、それにエウティコの一件(使徒20章)など、いくつも記されている。

これらのことから総じてうかがえることは、イエス・キリストを信じる人々の群れ(教会)では、生命の回復を与えられる出来事がしばしば起こっていた… そのように受けとめられていたことだ。文字通りの「死からの復活」だけでなく、もっと広い意味で象徴的な「いのちの回復」の出来事であれば、枚挙にいとまがない。

「何を食べようか、何を飲もうかと思い悩むな」と教えられたイエスは、「今あなたを生かして下さる神さまを覚えて歩みなさい」と諭された。まさに「マインドフル瞑想」ではないか。

それだけではない。近年の研究では、大きなストレスを抱いたにもかかわらずそれでも人を助けたり支えようとした人は、ストレスの悪影響を軽減させることが分かってきた。オキシトシンという物質が分泌され、キラーストレスホルモンの作用を抑えるというのだ。「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と教えられたイエス。それが「隣人」のためだけでなく、巡り巡って自分のためにもなることを知っておられたということなのだろうか。「頭でっかち」と思われるようなプロテスタントの歩みにも、「いのちの回復」へとつながる道が備えられていたのだ。

イエス・キリストのもとに集まり、生命の回復を与えられるような交わり。それが教会の理想とすべき世界である。一週間の垢を落としてさっぱりして、「あぁ!生き返った!」と思えるような、「温泉のような教会」を目指して歩みたい。