2016年07月のメッセージ
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2016年07月31日
2016年7月31日(日)
士師記6:36-40、ヨハネ7:1-14リオ五輪を前に、ロシアの国家ぐるみのドーピング疑惑が取り沙汰されている。どんな手を使ってでも勝てばよい… そんな勝利至上主義的な考え方が背後にある。ドーピングに於いてはクリーンと言われる日本選手にもその意識は及んでいる。「皆さんの期待に応えられなくてすみません」とインタビューで答える姿に切なさを感じる。過去にはそのプレッシャーに押しつぶされて、自ら死を選んでしまった選手もいた。
旧約の箇所は、神の力によって敵対するミディアン人との戦いに勝利した、イスラエルの士師(民族主導のリーダー)・ギデオンの物語である。敵に対して300人の少数精鋭で勝利を得た有能な指導者であり、ヘブライ書では信仰の先達と評される人物であるが、士師記におけるギデオンは結構弱気で自己評価の低い人物として描かれる。神の召命に対して、何とかしてそれを免れようとする姿。思えばモーセも神から召命を受けた時には、同じような振る舞いをしていたのを想い起こす。 続きを読む »
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2016年07月24日
2016年7月24日(日)
ヨハネ福音書6:41-59あるキリスト教主義学校の修養会に講師として参加した際に、開会礼拝でアガペー(愛餐の食事)にあずかった。アガペーとは初代教会で礼拝中に行なわれていた共同の食事で、後に聖餐と呼ばれる「主の晩餐」とは別に行われていたものだ。神妙な顔をしてパンを食べていた中高生たち。「みんな招かれている。みんな仲間。」そんな雰囲気に包まれていた。
その光景を見ながら、以前本で読んだアメリカのある教会でのエピソードを思い出した。宣教師として赴任したばかりの日本人牧師。家族と共に礼拝に参加していたが、その教会では礼拝出席者全員が参加する形で聖餐式を行なっていた。自分の息子は洗礼を受けていない… 躊躇する彼が同僚のアメリカ人牧師にそのことを告げると、その牧師はにっこり笑ってこう言ったという。「イエスが招いておられるのだよ。私たちは神の家族ではないか。」その言葉に背中を押されて、家族そろって聖餐にあずかったという。
今日の箇所は教会にとって大切な儀式の一つである聖餐式をめぐる箇所である。 続きを読む »
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2016年07月17日
2016年7月17日(日)
列王記上17:8-16、ヨハネ6:22-27子どもの頃「たたいてみるたびビスケットが増える」という歌を羨望の思いで聞いた。ドラエモンのポケットのように、何の苦労もなく無尽蔵に欲望を満たしてくれるものがあったらどんなにいいことか…。しかし成長の中で、「そんなものは存在しない」ということを学んでいった。
ところが現代の社会ではそれに似たことが起こる。参院選の直後、首相は記者会見で「さらなる経済対策を立てる。リニア建設を8年前倒しにする。」と述べた。すると株価が急上昇した。首相が何か生産的な活動をしたわけではない。しかし「これからもお金をバラ蒔きますよ!」と声を挙げると、無から有を生み出すように経済活動が上昇したのである。まるで錬金術。それを支えるのは人間の「欲望」だ。しかし財源は限られている。福祉、介護、教育、保育、年金といったところにしわ寄せがこないだろうか、それが心配だ。
今日は「朽ちない食べ物」についての二つの聖書の箇所である。 続きを読む »
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2016年07月10日
2016年7月10日(日) 創立130周年記念礼拝
ヨハネによる福音書5:1-9 岡山孝太郎先生私が読む度に胸を熱くする聖書の箇所がある。「既に夜が明けたころ、イエスが岸辺に立っておられた。」(ヨハネ21:4)よみがえりのイエスが岸辺に立っていてくださる。それは困難に時代に希望を与えてくれる聖書の言葉である。
今日の箇所にはそれとはまったく別の事柄が記される。大勢の人が集まるベトザタの池の傍にひとり佇む男。38年間病気に臥せり、水が動くのをひたすら待ち続けていた。水が動いて最初に飛び込んだものは癒されると信じられていたからだ。しかし同じような思いを持つ者にいつも先をこされて、38年間座り続けてきた。「捨てられた男」である。 続きを読む »
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2016年07月03日
2016年7月3日(日)
ミカ7:18-20、ヨハネ福音書5:24-29教会創立130周年に合わせて、記念誌の編纂に取り組んできた。教会の歴史を記述する際に、課題となるのがネガティブなあまり誇りに思えない出来事を記すかどうか、ということだ。昔の出来事であれば、まだ客観的に記すことも可能だろう。しかし直近の出来事、特に関係者がご存命だと筆が鈍ってしまうのが常である。
私たちは美しい出来事は大事にするが、醜い出来事からは目をそらそうとする。それが人間の本性だ。ところが、そういったありようとは違う歴史の記述を成し遂げた人々がいる。聖書の民・イスラエルである。
『聖書』とは「聖なる書物」、神に選ばれた「聖なる民・イスラエル」の物語 … そう思って読み始めたら、次から次へと人間の不祥事が出てくる。自国の歴史の暗部を批判的に記す歴史記述を「自虐史観」と言って攻撃する人々がいるが、ならば聖書は「自虐史観」のオン・パレードだ。 続きを読む »
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