2018年07月のメッセージ
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2018年07月29日
2018年7月29日(日)
申命記10:12-11:1,マルコ9:42-50今から25年前、私はひとつのサーカスの公演を観に行った。「ベンポスタ子ども共和国サーカス団、ロス・ムチャーチョス日本公演」。全国各所で行なわれた中の新潟での公演に出かけた。
「ベンポスタ」とはスペインに作られた「こどもたちの共和国」。独自に大統領を選び、通貨を持ち、自分たちで仕事をして収入を得、共同生活をする。ヘスス・シルバ神父が、1956年、軍事独裁政権下で劣悪な環境に置かれた子どもたちを救援するために作った共同体だ。
「共和国」の最大収入源がこどもサーカス。そのプログラムの最後に作られるのが「人間ピラミッド」。肩の上に人を乗せて五重くらいのピラミッドを造り、みんなで叫ぶ。「強い者は下に、弱い者は上に、そしてこどもはてっぺんに!」こども共和国の目指す理念を表す一大パフォーマンスである。この共和国は今は無くなってしまったらしいが、掲げられたこの理念は、今も大切なものとして光を発している。
キリスト教にはこの「いと小さきものを大切にする」という理念が、伏流水のように流れている。 続きを読む »
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2018年07月22日
2018年7月22日(日)
第一コリント12:14-25聖書の、個々の箇所からではなく、その全体から浮かび上がってくるように感じるメッセージがいくつかある。そしてそれは、単にクリスチャンにとってのみならず、人と人とが共に生きるという営みにおいて、すべての人が大切にすべきと思うようなメッセージである。そのひとつに「みんな同じ、みんな違う」というものがあると思う。
ひとつめの「みんな同じ」。いのちの重さ・尊さにおいて、我々人間は「みんな同じ」だということ。ユダヤ人・異邦人、男・女、子ども・おとな、年配者・若年者の区別なく、神からかけがえのない命を与えられ生かされているという点において、すべての人は「みんな同じ」。そんな「存在の平等性」とも言える世界を聖書は指し示す。そして、ひとりひとりの人間が「生まれてきてよかった」と思えるような社会を目指して、イエスは生きられたのだと思う。 続きを読む »
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2018年07月15日
2018年7月15日(日)
サムエル上17:38-50、 Ⅱコリント6:1-10先週、オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫被告の死刑が執行された。あの事件は宗教界に大きな衝撃を与えた。宗教という世界の「危なさ」が現わされてしまった…そんな思いを抱いた人も多いだろう。世間の常識・価値観とかけ離れた論理によって精神を支配された人々が行なった凶行…。改めて宗教であっても世の価値観からまったく離れてしまうのは危険なことだと思わされる。
しかし一方で、宗教とは一般社会の価値観とは異なる価値体系を持つ世界でもある。「社会とまったく同じ価値観しか持たないのであれば、宗教の存在価値はない」(釈徹宗)。人間の価値観とは異なる神仏の価値観に触れ、そこで自分を見つめたり修正したりする…。どの宗教もそのような営みをもっているはずだ。
世間一般の常識に収まって生きている自分を疑ってみる、「本当にそうなのか?」と問い続ける、そして本当に大切なものは何かを考える…。それが宗教の果たす役割だと思うのだ。 続きを読む »
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2018年07月08日
2018年7月8日(日) 創立記念日礼拝(132周年)
Ⅰテモテ3:14-16サッカーワールドカップ、前任のハリルホジッチ監督解任のゴタゴタなどであまり期待されなかったが、始まってみると日本代表チームの活躍により、一転大盛り上がりとなった。ハリル監督の求めたサッカーは相手ボールを奪って縦に速く攻めるスタイル。一方日本代表がこれまで続けてきたのは、じっくりマイボールを回して崩すスタイル。その流儀の違いが監督更迭の原因と言われている。ところが快進撃を続けた日本代表チームの戦い方の中には、明らかにハリル監督の目指したスタイルが根付いていた。
「家つくりらの捨てた石が、隅の親石となった。」(詩118) 後の時代には「大切なことだ」と認められるものであっても、その日その時その時代の人々には認められず、むしろ捨てられる…。そういうことはいつの時代にも起こり得るものだ。 続きを読む »
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2018年07月01日
2018年7月1日(日)
ガラテヤ5:2-6クリスチャン独特の言い回しに「救われている」というものがある。「私が救われたのは18歳のときです」「うちの息子はまだ救われていないんですよ…」ここでの「救われている」というのは一般的な意味ではない。洗礼を受けてクリスチャンになった人のことを指す言い回しなのである。
私は昔からこの「救われた者=洗礼を受けたクリスチャン」という言い回しに違和感を感じてきた。自分のことを「救われた」と呼ぶのはまだよい。しかし洗礼を受けていない人のことを、どうして「救われていない」などと言えるのだろう。人を救いに導くものはキリスト教に限らない、他にもあるじゃないか、と思ってしまうのだ。 続きを読む »
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