2020年06月のメッセージ
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2020年06月28日
2020年6月28日(日)
ヨハネ4:16-24コロナウイルスの状況により、今年の夏の甲子園が戦後初の中止となった。「聖地」に立つことを夢見ていた高校球児、特に最終学年の3年生の無念を思うと、かける言葉も見つからない。作家の早見和真さんが「メディアや大人たちの言葉ではなく、自分の頭で考え抜いて『新しい言葉と考え』をひねり出し、甲子園を失った最後の夏と折り合いをつけてほしい」と記しておられた。同感である。
はるか昔、同じように聖地に立つことをあきらめなければならなかった人たちがいた。聖書の民、イスラエルである。バビロン捕囚という悲劇の歴史により、聖地から引き剥がされ、祈りの心が満たされない状況を50年以上にわたり耐えなければならなかった。いわば「甲子園中止」が50年続く事態である。神を固く信じてきた民にとって、痛恨の出来事であった。 続きを読む »
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2020年06月21日
2020年6月21日(日)
Ⅰヨハネ2:22-29いま世界には、人々を分断させ対立を煽り、それによって自分への支持を集めて権力を掌握したリーダーたちが大勢いる。彼らが権力を手にすることができたのは、その主張に賛同して選挙で投票した人が大勢いるということだ。経済の拡大、人々の大移動に反比例して、「自分たちファースト」みたいな気分が広がっているのを感じる。そしてコロナによる状況が、さらにそれに拍車をかけたように思われる。
けれども、分断し対立し互いに自分の正しさを主張し合う…それを続けていたのでは感染拡大を狙うウィルスの思うつぼだ。ウィルスはある意味「平等」。立場やメンツなどおかまいなしに、感染を拡大させる。本当に必要なのは、立場やメンツを超えて協力し合うことなのに、それとは正反対の行動をとってしまう…そんな人間の愚かさを思わずにはいられない。
しかし考えて見れば、分断し対立し互いに自分の正しさを主張し合う…それは私たち自身もついやってしまうことだ。ケンカや争いごとの原因は、大抵「自分が正しい」「相手が間違っている」という意識から生まれる。 続きを読む »
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2020年06月14日
2020年6月14日(日) 花の日・こどもの日CS合同礼拝
詩8編、ルカ12:6-7コロナウィルスによって「みんなで集まる礼拝」ができなくなって、とても淋しいです。「赤ちゃんからおじいちゃん・おばあちゃんまで」いっしょに集まれるのが教会のステキなところだったのに、それが出来ないのがつらいです。
そんな中始めたのが「ライブ配信」による礼拝です。これで離れていてもスマホがあれば一緒に礼拝をささげることができます。世界中の人が前橋教会の礼拝を見ることができるのです。
ところで、ライブ配信をするようになって、今までとは少し勝手が違うことが出てきました。「いつも誰かが見てる」…そのことを意識するようになったのです。もうお祈りの時に頭をかいたり、鼻くそをほじったりはできません。「誰かが見てる」ということを意識すると、人間の行動は変わってくるのです。 続きを読む »
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2020年06月07日
2020年6月7日(日)
イザヤ40:12-17,ヨハネ14:8-17,Ⅰテモテ6:11-16旧約聖書を順番に読んでいて感じるのは、神と人との距離感が少しずつ変化していくことだ。創世記では「近い」。すぐ近くで、息遣いが聞こえるようなところにおられる神が描かれる。ところが出エジプト記になると、神はモーセを通してのみご自身を啓示される。しかしまだ「雲の柱・火の柱」すなわち「部族神」のようなかたちで、民の「そばに」おられる。
ところがイスラエルが諸外国の支配を受け、捕囚などの体験を積む初期ユダヤ教の時代になると、遠く離れた「宇宙の創造主」というユニバーサルな神として描かれるようになる。今日の旧約の箇所・イザヤ書の言葉などもそのひとつである。
その「遠く離れた神」が、他でもない「このわたし」に目をとめて下さる…そのような信仰の視点の大切さを信仰は示してくれる。「自分中心の世界」ではなく、「世界の中の自分」という視点である。
イエス・キリストはそのような信仰を抱いて生きる道を示された。一羽のすずめをも見つめられる神のまなざしを感じ、生かされている自分の命を感謝して生きる…それがイエスの語られた福音の本質のひとつである。
Ⅰテモテで、パウロは「唯一の主権者、不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる、誰一人見ることができない方」と「崇高な神」について語る。はたして神はそのような「近寄り難い存在」なのだろうか?
ヨハネ福音書でイエスは「私を見た者は神を見たのである」と言われた。「父子同質」の教義の根拠となる言葉でもあるが、少し違う受けとめ方をしてみたい。
イエスが神を「父」と呼ばれたのはよく知られることであるが、ユダヤ教でもそう呼ばれていた。しかしユダヤ教のラビとイエスとでは明らかな違いがあった。ラビたちの「父」が父権制社会における権威者としての「御父上さま」という呼称であったのに対し、イエスのそれは「アッバ=トウチャン」という幼な子の親愛の情の言葉である。それは「父子同質」という難しい真理を表すというよりも、神との「近さ・親しさ」を表す呼び方なのである。
「神さまは偉大な、崇高な方である。しかし決して近寄り難い存在ではない。『アッバ』という呼びかけに応えて下さる、親しみ深い存在なのだ…」。「アッバ」という呼びかけを通してイエスが示された神への信仰、それは「遠くて、近い、われらの神」ということなのではないだろうか。
遠く離れていることは、関わりが薄くなり悲しむべきことだ…と私たちは考えてしまう。しかし遠く離れていることは、悪いことばかりではない。遠く離れているからこそ見えることもある。宇宙飛行士たちが帰ってきて、異口同音に語るのが宇宙から見た地球の美しさ・すばらしさである。そして「にもかかわらず」互いに争っている人間の愚かさ、平和の大切さである。遠く離れているからそれが見える、感じられるのである。
遠く離れているからこそ感じることがある…神さまも同じなのではないか。神は人間の手の届かない離れたところでわたしたちを見つめておられる。神は人の手の内にはおられず、人は神を思うがままにコントロールすることはできない…その意味で「神は遠い」。
しかしその「遠さ」は、神と私たちとの「断絶」を意味するのではない。遠く離れた神が「近くにおられる」。私たちと共に、私たちの内におられる…その心の距離の近さをイエスは教えて下さった。イエスを知るとき、神を知り、「私たちはひとりではない」と信じて生きることができるのだ。
♪ From a distance
(遠くから見れば/ナンシー・グリフィス)From a distance the world looks blue and green
遠くから見れば この世界は青と緑に見えるAnd the snowcapped mountains white
そして雪に覆われた山は白くFrom a distance the ocean meets the stream
遠くから見れば 海と川は出会いAnd the eagle takes to flight
そしてワシは飛び立とうとしているFrom a distance there is harmony
遠くから聴けば そこにはハーモニーAnd it echoes through the land
それは大地に響き渡るIt’s the voice of hope,
それは 希望の声It’s the voice of peace
それは 平和の声It’s the voice of every man
それは すべての人の声From a distance we all have enough
遠くから見れば みんな満ち足りてAnd no one is in need
困ってる人はいないThere are no guns, no bombs, no diseases
そこには銃はなく 爆弾も 病気もなくNo hungry mouths to feed
そして飢える人もいないFrom a distance we are instruments
遠くから聴けば 私たちは楽器Marching in a common band
同じバンドに加わり 練り歩くPlaying songs of hope,
希望の歌を奏でながらPlaying songs of peace
平和の歌を奏でながらThey’re the songs of every man
それはあらゆる人々の歌God is watching us,
神さまは見ておられるGod is watching us
わたしたちを見ておられるGod is watching us from a distance
はるか遠くから見ていて下さるFrom a distance you look like my friend
遠くから見れば あなたは友だちに見えるEven though we are at war
たとえ私たちが争っていてもFrom a distance I just can not comprehend
遠くから見れば 私は理解できなくなるWhat all this fight is for
全ての戦いが何のためなのかFrom a distance there is harmony
遠くから聴けば そこにはハーモニーAnd it echoes through the land
それは大地に響き渡るIt’s the hope of hopes,
それは希望の中の希望It’s the love of loves
それは愛の中の愛It’s the hea-rt of every man
それはあらゆる人々の心God is watching us,
神さまは見ておられるGod is watching us
わたしたちを見ておられるGod is watching us from a distance
はるか遠くから見ていて下さる
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