2021年04月のメッセージ
-
2021年04月25日
2021年4月25日(日)
ヨハネによる福音書11:25-26今は復活節、イエス・キリストの復活の命と共に歩む日々を過ごしている。復活信仰はキリスト教の真髄。では、その「復活の命」とは何だろう?古代社会と違い、科学や医学の発達した現代社会で、復活信仰を「そのまま」の形で信じることは難しい。
「復活の命」とは何か?「死なないこと」だろうか?そうではない。イエスは十字架上で確かに死なれた。絶望の死を遂げられたのだ。しかしその絶望の中からよみがえられた、ということなのだ。「復活の命」とは「死なないこと」ではない。
では「復活の命」とは何か?生き返ることだろうか? 続きを読む »
-
2021年04月18日
2021年4月18日(日)
列王記上17:17-22 マタイ12:38-42(楠元伝道師)律法学者・ファリサイ派の人々は、イエスに「先生、しるしを見せて下さい」と願い出た。「しるし」とは、神の子として行う奇跡のことである。イエスは少し前の箇所で、安息日に手の萎えた人の癒しという「しるし」を見せておられた。しかしそれを見たファリサイ派の人々は「どのようにしてイエスを殺そうかと相談した」とある。「こいつはまずい。どうにかしないと自分たちの立場がなくなる」と、イエスを抹殺することを計画し始めたのである。
それなのに、ここではイエスにしるしを求めている。イエスは「よこしまで、神に背いた時代の人はしるしを欲しがる」と言われる。それはヤハウェの神を捨てバアル神を礼拝した旧約の人々の姿である。「ご利益を与えてくれる神」「自分の欲望を満たしてくれる神」を求める心が「しるしを見せてみよ」という要求となる。それは、メシヤ(救い主)の存在も、それを認定することも、自分たちのものさしで測ろうとする態度でもある。
対称的な人々の姿が語られる。「ニネベの人々・南の女王」である。異邦人でありながら預言者ヨナの言葉を受けて、しるしも見ないのに悔い改めたニネベの人々。ソロモンから知恵の言葉を聞いただけで、何のしるしもなく神を求めたシェバの女王。両者の姿は、自分に都合のよいしるしではなく、ただ神を敬う心・信じる心を持って神の前に出る人の姿である。
一方、列王記に記されたやもめは、「困難の中でも壺の中の小麦粉と油が尽きなかったしるし」や、「死んでしまった息子がエリヤの祈りでよみがえるという奇跡」を見て、エリヤと神を信じるに至った。彼女は「しるしを見て信じた人」だ。同じように「しるし」を求める心は誰もが持っている。それは「持ってはいけないこと・求めてはいけないこと」なのだろうか?いや、私たちに「しるし」はすでに与えられているのだ。
イエスは「ヨナのしるしの他には、しるしは与えられない」と言われる。「ヨナのしるし」― それはヨナが預言者の召命を逃れる中で海に放り込まれ、大きな魚の腹の中で三日三晩過ごしたことを表している。そしてそれは「人の子が三日三晩大地の中」、つまり墓の中にいたことと重ね合わされる。「ヨナのしるし」、それはイエスの十字架の死と復活を象徴している。
「しるし」は私たちに既に与えられている。それはイエス・キリストの十字架と復活である。それは私たちにとって大いなる希望であり、信仰の基となる出来事なのだ。とはいえ、私たちはつい「しるし」を求めてしまう。それが「絶対にいけないこと」だとは思わない。しかし、神さまに対して、自分の都合のよい「しるし」だけを求めることはしたくない。「主イエスこそわが望み」(讃美歌531)そのように受けとめ、ただ神により頼む…そんな「信じる心」を大切に求め続けたい。
(文責=川上盾)
-
2021年04月11日
2021年4月11日(日)
イザヤ書65:17-25池江璃花子選手の復活劇には、大きな感動を与えられた。しかしこの感動の物語を、コロナ状況の心配がある中で東京五輪を強行する口実にはしてはならないと思う。本当に安全が見込めて、十分な体制が取れるのであれば、開催すればいい。しかし大阪・東京では感染爆発・医療崩壊の兆しがあり、フランスは全土ロックダウン、ブラジルでは一日の死者が3000人を超える現状は、とても世界的イベントを開催できる状況とは言えないだろう。池江選手には商業主義のド派手な五輪ではなく、純粋な水泳の競技大会(世界選手権)において、存分の力を発揮してもらいたい。
今日の聖書はイザヤ書65章、イスラエルの民がバビロン捕囚の苦しみから解放された時期に活動した、第3イザヤによる預言の言葉である。ユダヤ人は捕囚の苦役に耐え、ついに自由の時、解放の時を迎えた。しかしそれは必ずしも、すぐさま大きな喜びへとつながるものではなかった。荒廃した祖国、干ばつと穀物の不作、飢饉による物価の高騰…そんな厳しい現実が待ち受けていた。荒れ果てた祖国に帰り途方に暮れる人々…。そんな帰還者たちに対し、それでも希望を失うことなく、神が開いて下さる未来に目を向けて生きるようイザヤは語りかけるのである。 続きを読む »
-
2021年04月04日
2021年4月4日(日)イースター
マタイによる福音書28:1-10イエスが断末魔の叫びと共に最期の息を引き取った時、それを見ていたのは女性たちだけであった。男の弟子たちは肝心の時イエスを守ることができず、散り散りに逃げ去ってしまったのだ。ひとりアリマタヤのヨセフという金持ちの議員だけが残り、イエスの遺体の引き取りを申し出た。そして遺体を引き取ると急いで墓に納めた。金曜日の夕暮れ、安息日が始まりかけていたからである。
女性たちはイエスと十分な別れができなかった。教会の葬儀などでも時間が押して火葬前のお別れが十分できないことがある。コロナ状況の中、最後のお別れすらできないケースもあるという。張り裂けるような悲しみを十分悲しむことができずに、消化不良のまま大事な人を見送らなければならない…イエスの十字架を見届けた女性たちも、同じような心境だったのではないだろうか。 続きを読む »
メッセージの月別一覧
- 2024年9月
- 2024年8月
- 2024年7月
- 2024年6月
- 2024年5月
- 2024年4月
- 2024年3月
- 2024年2月
- 2024年1月
- 2023年12月
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年9月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年9月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年6月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年3月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年9月
- 2021年8月
- 2021年7月
- 2021年6月
- 2021年5月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2021年1月
- 2020年12月
- 2020年11月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年6月
- 2020年5月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2020年1月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年4月
- 2019年3月
- 2019年2月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年9月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月
- 2018年4月
- 2018年3月
- 2018年2月
- 2018年1月
- 2017年12月
- 2017年11月
- 2017年10月
- 2017年9月
- 2017年8月
- 2017年7月
- 2017年6月
- 2017年5月
- 2017年4月
- 2017年3月
- 2017年2月
- 2017年1月
- 2016年12月
- 2016年11月
- 2016年10月
- 2016年9月
- 2016年8月
- 2016年7月
- 2016年6月
- 2016年5月
- 2016年4月
- 2016年3月
- 2016年2月
- 2016年1月
- 2015年12月
- 2015年11月
- 2015年10月
- 2015年9月
- 2015年8月
- 2015年7月
- 2015年6月
- 2015年5月
- 2015年4月
- 2015年3月
- 2015年2月
- 2015年1月
- 2014年12月
- 2014年11月
- 2014年10月
- 2014年9月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2014年4月