2021年05月のメッセージ
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2021年05月30日
2021年5月30日(日)三位一体主日
マタイによる福音書11:25-27ペンテコステ(聖霊降臨日)の翌週の主日は「三位一体主日」と定められている。「三位一体」、それはキリスト教独特の教義で、唯一なる神が人と(世界と)関わられる三つの方法を表す。
①父なる神、それは天地万物の創り主。すべてのいのちを造られた神の働きである。②子なる神=イエス・キリスト。十字架で人間の罪を贖われた「贖い主」である。③聖霊なる神、昔も今も我々に働きかける神の導き。「創り主」「贖い主」に対して「助け主」と称される。
今日はこの中から、イエスの祈りの言葉を元に「父なる神」について考えたい。イエスは神に祈るとき「父なる神」と呼びかけられた。「神の子であるイエスが、父である神に祈る」…ごく自然な呼びかけとも受けとめられる。このイエスの呼びかけにならって、多くの人は「父なる神」と祈り始める。
しかし中にはどうしてもこの呼びかけができないという人もいる。 続きを読む »
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2021年05月23日
2021年5月23日(日) ペンテコステ礼拝
使徒言行録2:1-4ルカ・使徒言行録伝承では、初代教会の宣教はエルサレムから始まったとされる。イエスを十字架にかけた人々のいる街、弟子たちにとっては敵地(アウェー)である。復活と昇天の喜びを体験したとはいえ、どれほど不安で心細かったことだろう。
彼らは「上の部屋」に集まっていた。その数120人。結構目立つ集団である。安心・安全を考えるなら、多くの人が一緒に集まらない方がいい。それ以前に、アウェーには長くとどまらない方がいい。
けれども彼らはエルサレムを離れなかった。あの十字架の時にように、バラバラに逃げ去ることもしなかった。イエスが「父が約束されたものを送って下さる」と言われた言葉を信じて、集まっていたのである。 続きを読む »
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2021年05月16日
2021年5月16日(日)
ルカによる福音書24:44-53コロナ状況により学校の授業がオンラインになっていた時期、学校の礼拝もオンライン配信で行なっていた。いつもは全員参加で「仕方なく」参加していた生徒もいたと思うが、見るためにわざわざボタンを押す必要があるオンライン礼拝に、1000件以上のアクセス数があった。自分の意志で礼拝に臨んでくれた結果である。多くの生徒に礼拝が必要とされているのをうれしく思ったのと同時に、神さまがひとりひとりをとらえていて下さることを感謝した。
先週木曜日はイエス・キリストの昇天日。十字架の死よりよみがえり、弟子たちの前に再び現れたイエスは、しばらく共にいて何をなすべきかを示した後、天に昇っていかれた。その時の弟子たちの心境は、どんなものであっただろう?十字架を前に逃げ出してしまった弟子たち。そんな情けない彼らと、復活のイエスは共にいてくれた。そして今、天に昇っていく姿を見送らせてくれたのである。
「弟子たちは大喜びでエルサレムに帰り…」と記されている。思い出す光景がある。 続きを読む »
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2021年05月09日
2021年5月9日(日)
マタイによる福音書6:5-13私たちの信仰は、目に見えない神の確認しようのないみこころを尋ね求めることである。私たちにその「神を知る道」を示してくれるのがイエス・キリストである…そんなメッセージを先週分かち合った。もう一つ、よりスピリチュアルな形でそのことを求める行為がある。それは祈りである。
私たちのささげる祈りは、さまざまな内容がある。願い事、感謝、決意表明といったポジティブな祈りばかりではなく、恨み言・泣き言・神への抗議といった内容の祈りもある。よく「お祈りをしたいけど、どうやっていいか分からない」という声を聞くことがある。一人で祈る時にはどう祈っても自由。しかし公同(人前で)の祈りにはそれなりの作法のようなものがある。そこで今日はこの祈りの作法についてレクチャーをしてみたい。
公同の祈りは次のいくつかの内容によって構成されるのが常である。 続きを読む »
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2021年05月02日
2021年5月2日(日)
ヨハネによる福音書14:1-7私たちの信仰は、目に見えない神を信じること、確かめようのない神のみこころを尋ね求めることだ。イエスの復活に際して、「私はその手の釘の穴に指を入れるまで信じない!」と言ったトマスに、イエスは「見ないで信じる者は幸いである」と言われた。見えないから、確かめられないから、だから「信じる」のである。見えるなら、確かめられるなら、もはや信じる必要はない。「確認する」だけで十分だ。
よく引き合いに出す二人の宇宙飛行士のお話。旧ソ連のガガーリンは宇宙空間を旅して「やっぱりそこには神はいなかった」と語った。無神論・宗教を否定する国家の代表だからそう言ったのだろうか…。ところがその数年後同じ宇宙を旅したアメリカ人ジム・アーウィンは「確かに神の姿は見えなかった。けれども私は今まで生きてきたどの瞬間よりも、強くはっきりと神の存在を『感じた』」と語った…。
両者のエピソードは、神を信じることへの示唆を与えてくれる。ガガーリンは見えるものしか信じようとしなかった。しかしアーウィンは見えないものを信じる心を求めていったのである。 続きを読む »
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