2021年08月のメッセージ
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2021年08月29日
2021年8月29日(日)
コリントの信徒への手紙 Ⅰ 15:35-52復活信仰はキリスト教信仰の真髄である。それは「死はすべての終わりではない」と信じることである。この信仰に支えられた時、人間は強いと思う。
しかし私は、そのような信仰を「強いなー」と思う反面、ある種の危うさをも感じる。それは「神の元での永遠の命」に憧れるあまりに、今この時の命を軽んじる発想につながりかねないからだ。間違うと「敵を倒して殉教すれば天国に行ける」という、宗教原理主義者のテロリズムにもつながってしまう。
初代教会の時代に影響力を持ち、最終的には異端とされた「グノーシス主義」という考え方があった。人間の命を霊と肉に分ける二元論で、肉の命より霊の命の方が価値が高いという考え方に至っていた。
「霊肉二元論に基づく反この世主義」。私はこの考え方には賛同できない。そこでは戦争・差別・環境破壊といった肉の世の出来事に対して、真摯に向き合う態度が生まれないからだ。私は現実の事柄に対して向き合い、大した働きはできなくともオロオロしたり、うろたえたりしたいと思う。
今日の箇所Ⅰコリント15章は、パウロが復活について最もアツく語っている箇所である。 続きを読む »
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2021年08月22日
2021年8月22日(日)
ハバクク3:17-19、ローマ8:18-25「神さまはいつも私たちを守り、助けて下さる」という素朴な信仰は素晴しいものだ。しかし理不尽な苦難の経験に置かれる時、かえって悩みが深まることがある。「ではなぜその神が、なぜ私をこんな苦しみに遭わせられるのか?なぜ助けてくれないのか?」そんな問いが心を揺さぶるからである。
実は私は、あまりそういう悩みを抱かない。それは私が素朴な信仰者ではなく、「神さまは守ってくれないこともある」と考えるひねくれた信仰の持ち主だからかも知れない。
しかし「なぜ(Why?)この苦しみを…」とは問わないが、「この苦しみの中をどのように(How?)ということは常に問われているように思う。そのように「問いをずらす」ことによって、試練や苦しみに向き合うこと、それが私にとっての信仰の促しである。
現実の苦しみにいかに向き合うか…それは聖書の民・イスラエルにとって常に向き合ってきた課題である。 続きを読む »
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2021年08月15日
2021年8月15日(日)
創世記24:62-67, コロサイ3:18-4:176年前の今日、長く続いた苦しみと悲しみの日々である戦争が終わった。2021年の今も、まだ「戦後」という時代を生きていられることは幸せなことだ。もしかしたら、愚かな私たちは、また同じ過ちを繰り返して、世界が滅んでしまうような戦争を今までの間に始めてしまっていたかもしれない。しかし各地では戦争はなくなってはいない。戦争は「今」も壊すが、「未来」も奪い取る。子どもたちが安心して、夢を持つことができる世界になるように、世界中の人々が安心して暮らせる世の中の実現を願う。
終戦の日に家族について考える。教会に集う私たちはイエスによって結ばれた神の家族である。一番身近にあり大切にするべき存在を私たちはないがしろにしていないか。「世界平和のためにできることは家族を大切にすることである」というマザー・テレサの言葉を改めて心の中に置きたいと思う。 続きを読む »
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2021年08月08日
2021年8月8日(日)
エレミヤ20:7-13,使徒言行録20:31-35カードや色紙などに「ひと言書いて下さい」と言われた時、どんな言葉を書くだろうか?自分が日ごろ大切だと思っていることを凝縮してくれるような言葉、座右の銘や生活信条のような言葉を書くことが多いだろう。
「私には語らざるを得ない言葉がある」…そんな言葉を皆さんは持っておられるだろうか?「ない」という人もいるかも知れない。しかしそういうものを「持ちたいな」と思って生きるのと「持たなくったっていいや」と思って生きるのとでは、何かが違ってくるのではないかと思う。
ただしその「語らざるを得ない言葉」というものは、人によっては心から喜んで語れる言葉ばかりとは限らない。時には「そういう言葉を語るのは、正直重荷だなー」と思いながら語る言葉もあるだろう。 続きを読む »
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2021年08月01日
2021年8月1日(日) 平和主日礼拝
ヨナ3:1-5, 使徒言行録9:26-31今日は平和主日。平和の理念を語り、平和の理想を目指すこと、それは尊い行為である。しかし現実の世界で平和を求めることは麗しいことばかりではない。平和の使信を語る者は、時には世の多数の人の思いを逆なでするようなことを語らねばならないこともあるからだ。
旧約聖書の預言者たちの働きはまさにそのようなものであった。預言者の言葉の多くは力強く、威厳に満ちた印象を受ける。しかしすべての預言者が強い意志を持った人ばかりではなかった。中には「私にはその役割は重すぎます…」と逃げ出す人もいた。ヨナはそんなひとりである。
繁栄を極めたアッシリアの首都・ニネベに行って、「人々の罪ゆえにこの街は滅びる」と預言せよ…ヨナはそんな召命を受ける。しかし恐れをなして逃げ出し、船で嵐に遭い海に放り出されて魚に飲み込まれてしまう。そして魚のお腹の中で悔い改めて、ニネベに行く決意をする。 続きを読む »
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