2023年06月のメッセージ
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2023年06月25日
2023年6月25日(日)
イザヤ56:3-7,使徒8:26-38ペンテコステの出来事て強められた使徒たちの宣教によって、イエス・キリストの福音は世界中の人々に伝えられていった。聖霊を受けた使徒たちが突然外国の言葉で語り出した…というエピソードは、そのことを物語っている。これはイエス・キリストを信じる信仰が、ユダヤ人の間のみならず、異邦人に間でも広まったことを意味する。これは私たちが考えるよりも大きな変化である。
その最初の異邦人キリスト者の誕生を伝えるのが今日の箇所である。中心となる人物はフィリポ、12使徒の働きをサポートするために選ばれた7人の執事の中のひとりである。
ある日フィリポは、夢で「ガザに行け」との天使のお告げを受けた。示された地に出かけると、そこに一つの出会いがった。あるエチオピア人の高官との出会いである。
その高官の名前は分からない。しかし名前以上に大切なことが記される。 続きを読む »
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2023年06月18日
2023年6月18日(日)
申命記8:11-20,使徒2:37-41今日の旧約の箇所・申命記8章には「わたしが今日命じる戒めと法と掟を守らず、あなたの神、主を忘れることのないように、注意しなさい。」と記される。この「戒めと法と掟」とは、十戒・律法のことである。613にも及ぶ条文があり、イスラエルの人々はこれを大切に守って来た。
こう言うと、イスラエルとはさぞかし信仰深い敬虔な人々なのだろう…という印象を受けるが、裏を返せば「それほど多くの条文がないと何をしでかすか分からない人々」ということなのかも知れない。
聖書の基本的な人間理解は「性悪説」。「人はみな生まれながらにして罪人」というものである。ではその「罪」とは何か?今日の箇所によれば「(神への感謝を忘れ)自分の力でこの富を築いた」と思い上がることである。
この後の旧約の物語を読めば、イスラエルの人々はしばしばこの罪の誘惑に陥って来た。だからこそ彼らには律法が必要、神の戒めに照らして自分自身を吟味する作業が必要だったのだ。 続きを読む »
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2023年06月11日
2023年6月11日(日)花の日・こどもの日CS合同礼拝
マタイ6:28-31童謡「チューリップ」では、「どの花見てもきれいだな」と歌われます。今日皆さんが持ち寄ってくれたお花は、どの花見てもきれいです。でも、道ばたのコンクリートの割れ目から生えている雑草に咲いている花を見て、「きれいだな」と思いますか?
ぼくは毎週の教会掃除で外回りを担当します。3月から10月にかけては、草抜き用の小さな鎌を持って、雑草をまだ小さなうちに抜いています。放っておくと大きくなって、車を駐車したり右左折する時に邪魔になるからです。大きくなると厄介なので、小さなうちに抜いてしまうのです。この姿、誰かに似ていませんか?
「大きくなると厄介だから、小さな子どものうちにやっつけてしまおう」・・・ それはイエスさまの誕生物語に登場するヘロデ王の姿です。 続きを読む »
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2023年06月04日
2023年6月4日(日)
出エジプト19:3-8a、使徒言行録2:14-21会議や集会などで、堂々と、理路整然と、自分の意見を言う方がいる。一方、しどろもどろで何を話しているのか分からない人もいる。先日行われた教区総会で、要点を得ないわかりにくい発言をされる人の言葉を聞いていて、「今この人は聖霊に満たされて話をしておられるのかも知れない」そんな風に感じた。
きっぱりと発言される人の言葉は、ストックフレーズ(常套句、定型句)であることが多い。誰かが既に言ったことで、自分が納得している言葉は、澱みなく口から溢れ出る。しかしそれまで誰も言ったことがない、その場で思いついたようなことについての発言は、要点を得ない。「聖霊に満たされて語る」とは、そのような姿だったのではないか、と思うのだ。
今日の聖書にはいずれもひとりの人が大勢の人に向けて語った言葉が記されている。旧約はモーセ。エジプト脱出を果たし、これから約束の地に向かう歩みに向けて、モーセが神の言葉を取り次いだのがこの箇所だ。
「もし私(神)の声に聞き従い、私の契約を守るならば・・・あなたがたは私の宝となる」と語るモーセ。いったいどんな表情でその言葉を語ったか?自信たっぷりに?いやむしろ、要領を得ない話し方だったのではないか。何せ彼は召命に際して「私は弁の立つ方ではありません」と述べているのだから。
新約はペンテコステ直後のペトロの説教。聖霊に満たされて語るペトロはどんな姿だっただろう?こちらもまた、的を得ない、しどろもどろの発言だったのではないかと思う。その姿を見て、嘲る者たちが言った。「あれは新しい酒で酔っているに違いない」。
ペトロは反論する。「今は朝の9時ですから、私たちは酒に酔っているのではありません」…。私はこの反論に説得力を感じない。私の拙い人生経験の中でも、「朝9時なのに酔っている」ということは何度も覚えがある。人が「朝9時なのに酔っている」ということは十分あり得る話である。ペトロは酔っていた…ハタから見てそう見える状態だった。決してしらふ(平常心)ではなかったのだと思う。
お酒のうち、蒸留酒のことを「スピリッツ」と称する。この言葉は同時に「精神・霊魂」を表す言葉でもあり、聖霊(Holy Spirit)ともつながる言葉だ。その語源はラテン語の「スピリタス」、それは「息・風」という意味だ。
ペンテコステの日、不思議な風に吹かれた弟子たちは、その「スピリッツ」に酔っていたのではないか。昨日までの冷め切ったあきらめの心ではなく、熱く燃える「聖なる酔っ払い」の心境…聖霊に酔い、ヨエルの預言(3章)通りに、聖霊に酔って夢や幻を見たのではないだろうか。
何か新しいことが始まろうとしている時、「現実的判断」ばかりしていると消極的になってしまう。時には常軌を逸して、夢や幻を見ること、そうして聖霊の導きに委ねること。そこから冒険(チャレンジ)が始まってゆく。
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