『 ぼくが黙れば、石が叫ぶ 』

2018年2月18日(日) CS合同礼拝
ルカによる福音書19:37-40

エルサレムに向かうイエスさまの一行を、街の人々はしゅろの葉を振って「ホサナ!(救いたまえ!)」と叫んで迎えました。「この人なら救いを与えてくれる!」と信じたからです。しゅろの葉は、人々を救う「王さま」のしるしでした。ファリサイ派の人々は「こいつらを黙らせろ!暴動が起きるかもしれないじゃないか!」とイエスさまに迫りました。するとイエスさまは「この人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」と言われました。

「石の叫び」。何のことでしょう?それは無理やり押さえつけられたり、自由を奪われたりしている人々の中から沸き起こって来る、魂の叫びのことです。押さえても押さえてもあふれ出てくる自由への叫び、それをイエスさまは「石の叫び」と呼ばれたのです。

今日、礼拝の奏楽をして下さったOkapiさんが演奏して下さった楽器は「スティール・パン」といいます。トリニダード・トバゴというカリブ海の島国で生まれた楽器ですが、何から作られた楽器だか知ってますか?原材料は「ドラム缶」なんです。

Microsoft PowerPoint - 180218 CS合同礼拝(まきまき)

トリニダード・トバゴは昔はイギリスの植民地で、アフリカからたくさんの奴隷が連れて来られました。石油が出たために、その採掘の作業を奴隷たちにさせたのです。重労働で苦しい日々を強いられたアフリカ出身の人々にとって、唯一の楽しみは、仕事を終えた後、タイコを叩いて歌い踊ることでした。その時だけは心が自由になり、生きている喜びを感じられたのです。

ところが、タイコを叩くと気分が盛り上がってきて、しばしば暴動が起きることがありました。毎日押さえつけられていたことへの反動が出たのです。するとイギリス政府は「タイコ禁止令」を出しました。アフリカ人奴隷の身体の自由を奪った支配者たちは、魂の自由まで奪おうとしたのです。

タイコを禁じられた人々はどうしたでしょう?おとなしく命令に従った?いいえ、そうではありませんでした。タイコを叩かない代わりに、別のある物を叩き出したのです。トリニダード・トバゴには石油採掘のためにたくさんのドラム缶がありました。人々はそのドラム缶を叩き始めました。やがてドラム缶の底をハンマーで叩いて薄くし、音階が出せる細工をしました。スティールパンの誕生です。

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「石の叫び」とは、押さえても押さえてもあふれ出てくる自由への叫びのことです。トリニダード・トバゴの人たちにとって、スティール・パンはまさに「石の叫び」なのです。

いまも世界のあちこちで「石の叫び」が沸き起こっています。自由を求めて、平和を求めて、悲しみや苦しみが癒される日々を求めて。そんな「石の叫び」を、イエスさまは応援し、共に叫んで下さるのです。