前橋教会からのメッセージ
おとなたちへ
わたしたちはお金で買えるしあわせを提供することはできません。
でも、お金では手に入らないゆたかさなら、どこで手に入れたらよいかを知っています。
こどもたちへ
わたしたちは受験に役立つ知識を教えることはできません。
でも、生きる上で大切な知恵なら、だれが教えてくれるかを知っています。
共に歌うことの楽しさ、 信じることのゆたかさ、 愛することのあたたかさ、
そんなことを大切にしたいと願っている教会です。
わたしたちはお金で買えるしあわせを提供することはできません。
でも、お金では手に入らないゆたかさなら、どこで手に入れたらよいかを知っています。
わたしたちは受験に役立つ知識を教えることはできません。
でも、生きる上で大切な知恵なら、だれが教えてくれるかを知っています。
そんなことを大切にしたいと願っている教会です。
<次週の主日礼拝>
2018年4月22日(日)午前10:30
主日礼拝
メッセージ
「 イエスが与える新たな掟 」
川上 盾 牧師
『 羊たちの冒険 』
2018年4月15日(日)
エゼキエル34:7-15、ヨハネ10:7-18
教会では教会員とリーダーである宗教者との関わりを、羊と羊飼いの関係において語る。「牧師」という名称が、まさに「羊飼い」という意味である。羊は警戒心が強く、いつも群れで生活をし、先導者が動くとそれにみんな従う傾向が強い。なので導く者がうまくリードしないと、群れ全体が誤った道に進みかねない...。聖書でも民衆と指導者(または神さま)との関係を、羊と羊飼いの関係に譬えられることが多い。
エゼキエル書の言葉は、牧師たる者としては大変身につまされる言葉である。「災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。」バビロン捕囚の苦しみの中、いわば目的を失った羊の群れのようになったイスラエルの人々に対して、本来その民を慰め良き方向へと導かなければならない指導者たち。しかしエゼキエルは実際の彼らの振る舞い、すなわち羊を養わないで自分自身を養おうとする「保身的な情けない姿」を叱責する。続きを読む »