2018年6月24日(日)
エステル記3:1-6、使徒言行録13:116-25
群馬県民に「心の灯台」と振れば、すぐさま「内村鑑三」と返って来るだろう。「心の灯台・内村鑑三」。上毛かるたの取り札の一枚として、県民の間にはこの言葉が共有されている。内村鑑三とは明治・大正期のキリスト教指導者で、日露戦争以降は「非戦論」を唱え、無教会というグループの創始者となった人でもある。
上毛かるたにはこの他にも「平和の使徒(つかい)・新島襄」という札もある。これらは上毛かるたの起草委員会の中に、須田清基という牧師が入っていたことによる。須田は安中教会出身で柏木義円から洗礼を受け、柏木や、新島・内村の感化を受けた人である。
ところで、なぜ内村鑑三が「心の灯台」なのであろうか?『非戦論』を語った人ということであれば「平和のつかい」の方が妥当ではないか。これについては確かなことは言えないが、私の思い付きの推論を述べてみたい。
内村の有名なエピソードに「不敬事件」というものがある。内村が一高(現東大)の教員時代、教育勅語が収められた奉安殿の前で最敬礼をせず、軽く会釈をするだけで通り過ぎた。これが天皇に対する「不敬」であるということで、バッシングにさらされたのである。
なぜ内村は最敬礼をしなかったか?それは「クリスチャンにとって拝むのは神さまだけ」という信仰がそうさせたのであろう。内村は周囲の動向に左右されず、自分の進むべき道を自らの信念に基づいて定める人だった。夜の暗い海を進むには灯台の光が必要だ。彼は心に灯台の光を持つ人だった…それが「心の灯台」という言葉に込められた思いなのではないか。それが私の推論である。
エステル記におけるユダヤ人・モルデカイも、不敬事件を起こしている。ペルシャ時代、王の臣下・ハマンに対して、皆が最敬礼している中で彼はそれを拒んだ。「唯一の神・ヤハウェのみを信じる」その信仰に基づく抵抗の姿勢である。
しかしこのことでペルシャのユダヤ人は殲滅作戦の対象となる。この危機を未然に救ったのが、ユダヤ人でありながらペルシャ王妃となっていたエステルである。彼女は死刑宣告を覚悟で王に直訴し、受け入れられるとハマンの策略を暴き、モルデカイをはじめとするユダヤ人の命を救ったのである。
使徒言行録には、やはり命の危険を賭してイエス・キリストの福音を宣教する使徒たちの姿が描かれる。彼らの歩みは「面従腹背」の歩みではない。自分にとって最も大切なものは何か。それをしっかりと見定めて考え行動した人々の姿である。
「人に従うよりも神に従う」(使徒4:19)、そんな歩みを生み出すためには、「心の灯台」が必要だ。聖書に記されたイエス・キリストの姿こそ、その心の灯台だ。その光に従うとき、暗闇の中でも歩み道が示される。