『 あなたも見ていたのか 』

2015年3月15日(日) レント賛美礼拝
ルカ福音書22:47-23:49

讃美歌306番『あなたもそこにいたのか』、元曲は“Were you there?”という黒人霊歌である。イエス・キリストの十字架を取り巻く群衆のひとりに自分の姿を重ねて、イエスが苦しみを受けるのを黙って見ているしかなかった罪を歌う賛美歌。美しいメロディであるが、その内容はとても痛切なものだ。

この歌が、黒人霊歌であるということに、私は長い間違和感をいだいていた。

黒人霊歌はアメリカの過酷な奴隷制度の中で生まれた歌だ。鎖でつながれ鞭打たれ身体の自由を奪われたアフリカ人たち。せめて歌うことで心の自由を得ようとして、歌い継いできた「魂のうた」である。その内容の多くは、自由と解放、救いを求める歌だ。旧約聖書の出エジプト記や、ヨシュアの物語が題材として親しまれた。

しかしこの“Were you there?”は、少し趣の異なる歌である。それは自分たちの罪を告発する歌なのだ。「どうして?奴隷たちに罪はないのに。自由を奪う人々こそ罪人なのに…」そんな思いが違和感となっていたのだ。

ところがある時一枚の写真を見て、合点がいった。それは伝説のジャズシンガー、ビリー・ホリディの『奇妙な果実』というレコードのジャケットに使われた写真だった。アメリカ南部のポプラの木にぶら下がる“奇妙な果実”、それはリンチを受け首をくくられた黒人たちの姿である。奴隷制時代も、奴隷解放後も、多くの「反抗的な」黒人たちが、そのような仕打ちを受けてきた。

“Were you there?”はそのような状況の中で生まれた歌なのだと思った。仲間のひとりがとらえられている。リンチを受け首に縄をつけられ、吊るされようとしている。それを助けたくても助けられない…不甲斐なく情けない弱い自分の姿…。その思いを、聖書のイエスの十字架を取り巻く人の姿に重ねて、黒人たちは歌ったのだろう。

「その弱さこそ、人間の罪だ。そしてその罪を赦すために主は十字架にかかって下さったのだ。」そう言うこともできよう。しかし間違ってはならないことがある。それは、その「罪の赦し」に寄りかかって、私たちが自分の弱さに居直ってはならないということだ。心ならずも大切な人を見捨ててしまった痛恨の思い。その後悔を忘れてはならないと思うのだ。

それは決して心躍るような楽しい経験ではない。しかし弱さゆえに過ちを犯す私たちにとって、それは大切な営みであり、またかすかな希望につながることでもある。なぜなら、その思いがある限り(その思いを忘れない限り)、私たちは「もう一度やりなおそう。」そんな志へと導かれていくのだから。

2015-03-15 | Posted in | Comments Closed