『 前に架ける橋 』

2015年7月12日(創立記念日礼拝)
コヘレト11:1-6 ガラテヤ6:7-10

私たちが普段あたり前のように使っている施設(道路、橋、鉄道、公共の建物等)は、最初に作られる前は存在していなかった。最初にそれを作ろうとした人の思い、それは「前のものに全身を向け、目標を目指して走る」という志に支えられたものであったことだろう。

徳川家康が江戸に築城する前は、江戸は利根川が流れ込む大湿地帯で、人が暮らすには適さない土地だった。秀吉から命じられた関東地方への事実上の左遷を受け入れざるを得なかった家康は、その江戸に城を築く決意をする。そのために何と彼は、利根川の付け替え工事に挑むのである。この大規模土木工事によって江戸は一大稲作地へと変貌し、世界最大の都市として成長を遂げてゆく。この利根川東遷工事が完成したのは60年後。その完成を見ることなく家康はこの世を去った。ある研究者が語った言葉が印象に残る。「日本の河川の整備事業の95%は江戸時代に行なわれた。その恩恵を受けて現在の私たちの生活が支えられていることを、決して忘れてはならない。」

今日は創立記念日、129年前に前橋教会の歩みが始められた日だ。明治開国直後の時期、まだ「切支丹禁制」の高札が撤去されて間もない時代に、「この国には、この街には、キリストの教会が必要だ!」そう言って教会の基礎を築いて下さった方々。その人たちの努力があったから、今の私たちの歩みがある。

何もないところに教会を建てる、という取り組み。それは「あなたのパンを水に向かって投げよ」というコヘレトの言葉に重なる行為だと言えよう。「こんなことをして何になるんだろう?まったくの徒労、無駄骨に終わるかも知れない…」そんな思いを抱きつつ、それでも手にしたパンを水に投げる… そんな営みに励んだ人こそが、「月日がたってからそれを再び見出す」のである。

私たちはそのような「前に向けて橋を架けた人々」から、パスを受けた存在としていまここにいる。パスを受けた人の大切な振る舞いとは何か?そのボールを失わないように、大切に大切に「キープする」ことだろうか?いやむしろ、私たちもまた次の人々にパスを出そうとすること、それが大切な振る舞いではないだろうか。たとえそこに、すぐに大きな成果が出なくても、パスを出し続けること。それが私たちにとっての伝道・宣教であり、「水の上にパンを投げること」「前に向かって橋を架けること」なのであろう。

ガラテヤ書では「肉に蒔く者は滅びを刈り取り、霊に蒔く者は永遠の命を刈り取る」と語られている。肉に蒔く者、すなわち自分の欲望・名誉・お金のためにそれをしようとする企ては失敗する。霊に蒔く者、すなわち「目に見えないけれども大切なもの」を人の魂に届けようとする働きこそが、祝福のうちに導かれるということだ。

きょう、私たちの教会は創立129周年を迎え、いよいよ来年の創立130周年に向けて歩み出した。

神の導きを信じ、前に橋を架けよう。

2015-07-12 | Posted in | Comments Closed