7月13日(日) 創立128周年記念礼拝
使徒言行録13:38~44
日本社会はキリスト教にとって宣教の難しい社会と言われる。様々な努力が重ねられているにも関わらず、人口の1%にとどまり続けている。その理由として、①キリシタン禁制時代の名残り、②明治期のクリスチャンの多くが旧士族で庶民性が少なかった、などいろいろな理由が考えられている。
今まで聞いた中で一番納得させられたのは、「キリスト教の精神性と日本的宗教風土のミスマッチ」という説明だ。日本では宗教において軸を持たない傾向がある。「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」、そんな宗教性を持つ民衆にとって、キリスト教信仰はプリンシプル(教義・規律)がはっきりし過ぎているというのだ。「伝道に熱くなる」、そんな道を目指せば目指すほど、民衆との距離は広がるのかも知れない。「う~ん…」と考え込まざるを得なかった。
前橋教会の歴史を見て、創立初期の受洗者の数に驚かされる。60名、70名、多い年には年間90名もの受洗者が与えられているのだ。群馬県は日本のキリスト教史の「先進県」だと言われる。そんな先達たちの努力によってこの教会の歴史は支えられてきた。しかし128年の時を経て、私たちの教会もまた日本的伝道困難な状況と向き合わざるを得ない現状となっている。
使徒言行録の記述によれば、アンティオケアで宣教するパウロの話を聞こうと、多くの人が会堂を訪れた。「ほとんど町中の人が…」と記される。空前のキリスト教ブームだ。日本にも「ブーム」と言われる時期はあった。しかし冷静な分析をするならば、同じようなブームが今後沸き起こることを望むのは難しい。
そんな中で今後どう歩むか。「ひとりと誠実に向き合い、出会う中で、福音の喜びを分かち合う」。この原点に立つ以外にない。「♪緑の山と豊かな水の街 ~(前橋教会オリジナル賛美歌『いのりの家』より」 に建てられた「いのりの家」に、喜びをもって集まり、新たな出会いを求めて歩む。そんな道をこれからも目指したい。