2024年6月9日(日)
(花の日こどもの日CS合同)
ヨハネ4:21-24
今日は「花の日・こどもの日」礼拝です。イエスさまはこどやお花や空の鳥を祝福されました。すべてのいのちを祝福されたのです。わたしたちみんなイエスさまに祝福された「いのち」なのです。今日はそんないのちの中から、麦の話をします。
5月・6月は麦の収穫のシーズンです。前の年の秋に種まきをします。冬の寒さの中でもしっかり芽を出し育ちます。少し大きくなったら「麦踏み」をします。麦は踏めば踏むほど強くなるのだそうです。4月には青々とした美しい葉や穂が茂り、風が通って行く道が見えます。そして収穫の季節、黄金色の麦畑がとてもきれいです。
今日のイエスさまの言葉はその麦についての教えです。「ひと粒の麦が地に落ちて死ななければひと粒のままである。しかし死ねば豊かに実を結ぶようになる」、イエスさまはそう言われました。どういう意味でしょう?
これは麦の成長のことを言っているのです。蒔かれてすぐの麦の粒は内側に白い養分をたくわえています。この養分を芽や根に送ることによって成長していきます。しかし葉や穂が茂り根が大きく広がるにつれ、もとの麦の粒はだんだん小さくなり、最後は朽ちてしまいます。そうやってはじめの粒が形をなくす(死ぬ)ことによって、多くの実りが得られるのです。
「ひと粒の麦が死ねば、大きく実を結ぶ」とイエスさまは言われました。みんなはね、死んじゃダメですよ。いろんな可能性に向けてしっかり生きて、ひとりひとりが「ゆたかな人生」を歩んで欲しいと僕は思っています。
でも、じゃあその「ゆたかな人生」とはどんな人生なのでしょう?お金持ちになること?有名になり偉い人になること?自分の思い通りの人生を歩むこと?ここでさっきのイエスさまの教えの言葉がヒントを与えてくれます。
自分に与えられた力(麦の粒の養分の部分)、それを自分のためだけに使い、「他人のために使うなんてもったいないからイヤだね」と自分のことだけを考えて生きる生き方…「そういう生き方は、あんまりゆたかな生き方じゃないね」、イエスさまならそう言われると思います。
本当にゆたかな生き方とは、自分に与えられた力・賜物を、自分のためだけではなく、ひとのためにも喜んで使える人、そんな人が本当にゆたかな人なんだよ…さっきのイエスさまの言葉は、そんなことを教えてくれる言葉だと思います。
4月に亡くなった車いすの画家であり詩人である星野富弘さん。群馬県人でイエスさまを信じるクリスチャンでした。その星野さんの作品に麦の穂を描いたものもあります。作品の中で星野さんは、豊かに実る麦の穂のことを「太陽の弓矢」と呼んでおられます。たしかに大地の実る麦の穂は、太陽が放った弓矢のような形をしてますね。
弓矢は戦いの道具、命を奪う武器です。けれども星野さんの描く「太陽の弓矢」はそうではありません。命を奪うのではなく、養う弓矢です。そんな麦に養われて私たちは生きてゆけます。私たちも、自分に与えられた力を、自分のためだけに使うのじゃなく、喜んでひとのために使えるゆたかな人になりましょう。