2024年6月23日(日)
ヨナ書4:1-11(6月23日)
ヨナ書は4章からなる、短い預言書である。ヨナが巨大な魚に飲み込まれたエピソードは、童話『ピノキオ』のモチーフともなっている。とかく「裁きの神」のイメージの強い旧約にあって、新約的な「赦しの神」を示す物語だ。
ある日預言者ヨナは、「ニネベ(アッシリアの都)に行き、悪に支配された街への裁きを告げよ」との神からの命を受ける。しかしヨナはその命を拒み、海路タルシシュに逃れた。
なぜヨナは逃げたのか?「敵国の都・ニネベなど滅びればいい」という思いがあったのか?しかしそれに加えて、「きっと神はニネベの街をゆるされるだろう」という潜在的な思いがあったからかも知れない。そんな納得できない心を抱きながら、ヨナの逃避行が始まった。
ところが船の中で神の命から逃げたことが明らかとなり、「突然の沸き起こった嵐はお前のせいだ」と責任を問われ、ヨナは海に投げ入れられる。しかし神はヨナを大きな魚に飲み込ませ、その命を守られた(ピノキオ)。魚の中で悔い改めたヨナは、再び地上に戻るとニネベに行き、神の命じられた通り街の滅びを宣告した。するとその言葉を聞いたニネベの人々は次々に悔い改め、それを見た神はニネベの街を赦してしまった。
ヨナはそれを見て、不満を抱く。「神さまの言う通りにしたのに、私の立場はどうなる!?」そう言って拗ねるのである。ある意味人間らしい姿とも言えるが、私たちも同じような思いを抱くことがあるのではないか。自分のことを正しいと思い、人を批判し裁こうとする. . .そんな私たちに「それは正しいことか?」(ヨナ4:4)との言葉が問いかけられている。
ヨハネ8章に記された「姦通の女の赦し」の出来事を想い起こす。律法に従えば彼女を石打ちの刑に処することが「正しいこと」だ。しかしイエスは「あなた方の中で、罪を犯したことのない者が石を投げるがよい」と言われた。自分を「正しい」と思い込み彼女を裁こうとする人々に、「それは正しいことか?」とイエスは問いかけられる。
ヨナの話に戻ろう。拗ねてふてくされたヨナではあったが、それでもニネベのことが気になり、町はずれに小屋を建て様子をうかがっていた。太陽が照り付け暑さに苦しむが、神はとうごまの木を茂らせ、ヨナは日陰で安らぐことができた。ところがそのとうごまが、虫にやられて一日で枯れてしまった。
再び訪れた熱暑に「死んだ方がましだ」と呪いの言葉を吐くヨナ。そんな彼に神は言われる。「お前はたった一本のとうごまを惜しんでいる。ならば私がニネベの街を惜しまずにはいられない気持ちを、どうして分かろうとしないのか!」と。
この神の問いかけ言葉をもって、ヨナ書は唐突に終わる。答えは用意しない。それは私たち自身への問いかけでもあるのだ。自分を正しい者と定め、人を非難し裁こうとする私たちに対して、「それは本当に正しいことか?」と神は問いかけられる。