2025年6月8日(日)ペンテコステ
使徒言行録2:1-11
教会暦では現在、イースターからペンテコステに向けての日々を過ごしている。先週の主日は「昇天日」直後の日曜日。十字架の死から復活したイエス・キリストが、40日間弟子たちと共に過ごした後、天に昇られた直後の状況だ。
それは親に支えてもらってやっと自転車に乗れるようになった子どもが、いきなり「今日からは自分一人でペダルを漕ぎなさい」と言われるようなものである。心細く不安な思いが一杯だったことだろう。そんな彼らに神さまの目に見えない不思議な導き、すなわち聖霊が注がれ、教会の宣教が始められてゆく…今日はその出来事を記念するペンテコステである。
新約聖書で唯一この出来事を伝えるルカは、この日に起こった3つの不思議な出来事を記す。①不思議な風がびゅうっと吹いたこと。風は目に見えない。しかし確かに吹いており、物を動かす力を働かせる。自由な風は神の働きそのものである。②炎のような舌。ペンテコステのシンボルカラー=赤はこの炎に由来する。なぜか分からぬが心を熱くさせ、前に進む勇気を与えてくれる、そんな神の導きである。
③弟子たちが行ったことのない国の言葉で喋り出した。バベルの塔以来、人間は住む地域によって言葉が異なり、意思疎通ができなくなっていた. . .。「神のようになろう」という傲慢・罪により、分断されていた現実を、再び乗り越える道が与えられた。弟子たちがいきなり語学の天才になった. . .というのではなく、世界宣教の始まりが象徴的に記されていると受けとめたい。
しかしもうひとつ、忘れてはならない奇跡がある。それは他でもない、十字架の危機の際にイエスを見捨てて逃げ去った「弱い」弟子たちが、今度は自分の足で立ち上がり、歩き始めて行ったということである。その歩みはまだまだ未熟でおぼつかないものだっただろう。しかしとにもかくにも「今度は自分たちで. . .」そのような思いに促されて歩み始める. . .そこに教会の宣教が始まるのである。
イエスに代わり、誰がリーダーになったのか?一番弟子であり、初代教皇となるペトロだろうか?それとも広範囲を伝道し、多くの手紙を残したパウロだろうか?それらの働きが大きかったのは確かだが、敢えて言うならばそれは誰かひとりの優れたリーダーの働きではなく、イエス・キリストを信じる人々の群れ、即ち会衆の力によるものではなかったかと想像する。
前橋教会の源流、組合教会. . .そのルーツを辿れば、宗教迫害を逃れて海を渡り、牧師不在の中で会衆を中心とした教会を立ち上げていったピューリタンたちに遡る。そこから会衆主義教会の歩みが始まった。そしてその伝統を引き継いだ新島襄によって、日本での組合教会の宣教が始められてゆくのである。
「立ち上がる会衆」。私たちの教会のルーツにはそのような人々の姿があった。来年迎える140周年の節目に当たり、改めてその志を新たにしたい。