2024年03月のメッセージ
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2024年03月31日
2024年3月31日(日) イースター
マタイ福音書28:1-10イエス・キリストがポンテオ・ピラトの元で十字架につけられ、「わが神、わが神、なぜ私を見捨てるのですか!」と叫んで息を引き取られた時、イエスを信じて従ってきた人々は「終わった」と思った。それは信じる人たちにとって痛恨の出来事であった。
イエスが息を引き取ったのは金曜日の夕方、もう安息日が始まろうとしていた。人々は急いでイエスの遺体を引き取り、墓に納めた。アリマタヤのヨセフという人が勇気を出して申し出たのだ。自分の作った新しい墓にイエスを納め、重い石の蓋をした。そして安息日を過ごした。
安息日が終わり、日曜の朝に女たち(マリア)が墓に出かけた。金曜日にはあまりに急いでいたために、香油を塗ることができなかったので、それを塗りに行ったのだ。すると重い墓石がどけられており、中にイエスの遺体はなく、代わりにみ使いが座ってこう言った。「あの方はここにはおられない。かねて言われた通り、復活なさったのだ。」 続きを読む »
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2024年03月24日
2024年3月24日(日)
セカリヤ9:9-10, ヨハネ18:28-40本日は棕櫚の主日。イエス・キリストがエルサレムに入城する際に、迎える人々が王の象徴である棕櫚の葉を振り、「ホサナ(救いたまえ)!」と叫んで迎えた。その歓声の中をイエスはロバの子に乗って進んで行かれた。
イエスのこの振る舞いにはシナリオがある。それがゼカリヤ書の言葉である。たくましい軍馬ではなく、力弱いロバの子に乗って進まれるイエス。その姿は、これから始まるイエスの「たたかい」が、武器で相手を打ち負かす「戦い」ではなく、あくまでも平和裏な形の「闘い」であることを表している。
迎えた人々の中にはそのイエスの姿に違和感を抱いた人もいたのではないか。「こんな弱っちい男が、はたして我々を救ってくれるのだろうか?」と…。勝手に期待し、勝手に失望して、その相手に憎しみを抱く…そんな身勝手な群衆の姿がこれから現れるのである。 続きを読む »
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2024年03月17日
2024年3月17日(日)
イザヤ43:1-5, エフェソ2:17-22今日は「これからの前橋教会について語り合う懇談会」、略して“カラコン”の第1回目である。このような企画を立てるに至ったのは、コロナ後の状況にどう向き合っていくか、みんなで話し合いたいと思ったからだ。
コロナ状況は私たちの教会活動への意欲を減衰させた。感染拡大期には仕方がなかったとは思うが、新たな局面を迎えてもなお、「何でもコロナのせい」にして億劫になっているところがありはしないか。そうであるなら、それは「困ったことだ」と思う。
これからの前橋教会について、役員会だけでなくいろんな人が語り合う中から道筋を定めていきたい...そんな願いから立てられた企画である。 続きを読む »
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2024年03月10日
2024年3月10日(日)
サムエル上10:1,6-7, ヨハネ12:1-8「油注がれた者」と聞いて、教会に長く通う人はピンとくるが、そうでない人には何のことか分からないであろう。しかしその言葉の聖書の原語・ギリシャ語の単語は誰もが聞いたことのある言葉である。「クリストス(キリスト)」、それは旧約聖書ヘブライ語の「メシア(油注がれた者の意)」のギリシャ語訳で、「救い主」を表す言葉である。
もともとそれは、王の任命の際に頭に油を注いだことから始まる儀式である。そもそも、なぜ頭に油を注ぐのか?それはイスラエルの祖先・遊牧民の頃からの習慣だそうだ。
羊の体にはノミやいろんな虫がついており、それが耳の中に入ると命に関わることもあるという。それで羊飼いは羊の頭に油を塗り、虫が滑って耳に入らないように予防をした。このことが転じて、神に守られ祝福を受けるしるしとして、頭に油を塗るという儀式となった。
今日の旧約は、イスラエル初代の王・サウルの任命の場面である。 続きを読む »
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2024年03月03日
2024年3月3日(日)
ヨシュア24:14-24, ヨハネ6:60-71キリスト教、そしてその前身であるユダヤ教は、偶像崇拝を禁止した。それはただ単に「形あるものを拝む行為」を禁じたというのではなく、「この像を拝んでおけばご利益がある、願いや欲望が叶えられる」という信仰のあり方を戒めたということだ。
ご利益どころか、イエスは「私に従いたい者は十字架を背負いなさい」と教えられた。これは万人受けする教えではない。けれどもこの教えに従って歩むところに、他では得難い人生の意味を知る. . .それがキリスト教信仰だ。そこには「ひとひねり」が必要なのだ。「信じればいいこと(ご利益)がある」. . .そんな心を持っている人にとって、聖書の教える信仰の厳しさは、そこから離れたくなる心理を生み出すこともあるだろう。
ヨシュアはヨルダン川を渡ってカナンまでイスラエルを導き、そこで寿命を終えるにあたって人々に遺言を語る。「川向うの神々に従うのを避け、主=ヤハウェの神に従いなさい」。ところがその直後にこうも言う。「もし主に仕えたくなければ、川向うの神々に従うがよい」。すると民は答えた。「主を捨てて、他の神々に仕えるなど、するはずがありません」。
立派な答えだ。しかしどこか嘘くさい。ヨシュアはその嘘くささを見抜き、「あなたがたは主に仕えることができないだろう」と言った。そしてその言葉通り、この後歴史の中でイスラエルの民は何度も主を離れるのだ。 続きを読む »
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