2022年01月のメッセージ
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2022年01月30日
2022年1月30日(日)
マルコ1:40-45新型コロナウイルス感染が始まった時から「感染した人を差別・排除しないようにしましょう」と言い続けてきた。それは私が差別をしない「正しい人」だからではない。病気でのパニックに置かれた時、人間がいかにたやすく差別的な心情を抱いてしまうかを何度も経験してきたからである。イエスから示された「共に生きる」という道を求める上で、「病気と差別」の問題は避けて通れない課題である。
重い皮膚病人の癒しの物語は、いくつもの大切なポイントを含むエピソードだ。医学の未発達な古代聖書の時代には、「恐ろしい伝染病」と受けとめられ、神の罰を受けた人とされていた。街の中に住むことを許されず、誰かが近づいて来たら「ここには汚れた者がいます」と叫ばねばならなかった。病気による「肉体の苦しみ」、共同体から排除された孤独という「社会的な苦しみ」に加え、神からも見捨てられた「宗教的な苦しみ」を背負う人である。
そんな彼の耳にイエスのうわさ(悪霊を追い出し、人々を癒す)が聞こえてきた。 続きを読む »
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2022年01月23日
2022年1月23日(日)
申命記30:11-15,マルコ1:21-28「私はいつもあなたと共にいる(インマヌエル)」そんな神の言葉に支えられて歩むこと、それが聖書の語る最も力強いメッセージである。しかし私は子どもの頃、「いつも神さまが見ておられるよ」という言葉を素直に喜べないことがあった。「隠れて悪いことしてても、神さまはお見通しだからね!」そんな風に受けとめていたからだろう。
モーセは新たな地で歩み始めるイスラエルの民に律法を授ける時に「神の言葉は空のかなた、海のかなたにあるものではない。それはあなたのすぐ近くにあるのだ」と語っている。神の存在を身近に関じて、新しい歩みを作っていきなさいということだ。しかしそれが、律法の条文を「ものさし」にしていつも自分が「量られている」ということならば、私たちはそのことに息苦しさを感じるのではないだろうか。
イエスが宣教を開始して会堂で教えていると、悪霊にとり憑かれた人が「私に構わないでくれ。あなたは神の聖者だ!」と叫んだ。この人はイエスの本質を正しく見抜いている。その上でイエスとの関わりを拒否する。「インマヌエル」を拒絶するのである。 続きを読む »
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2022年01月16日
2022年1月16日(日)
エレミヤ1:4-10,マルコ1:14-202022年が始まり、心新たに新しい年を迎えている方も多いだろう。今年こそ平和で平安な年になるように願う。
昨年はわたしにとっては大きな変化の年であった。長く非常勤として勤めていた学校で専任として働くことになり、宗教主任としての役目も担ってきた。46歳での新しいスタートである。人生の半分を過ぎた頃に新しいスタートをすることは、私にとっては神によって備えられていた時と感じる。
私たちはいくつになっても新しいことを始めることができる。始める機会がもし与えられたら、勇気を出して新しいことへの一歩を踏み出したいと思う。
エレミヤは神からの召命を受けたとき、「私は若者に過ぎないから」と断ろうとしている。実際にエレミヤはこのとき20歳前後。今の時代でも確かに20歳前後では大きなことを任せるには未熟と考えてしまうかも知れない。「自分は準備できていない」と断ろうとするエレミヤに神は「私が共にいて必ず救い出す」と言って、信じろ、任せろと言っている。 続きを読む »
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2022年01月09日
2022年1月9日(日)
出エジプト14:15-22、マルコ1:14-20新約はイエスが洗礼を受けられた場面である。洗礼とは水で洗うことによって罪を赦し、新しく歩み出すための儀式、キリスト教では入信の儀礼である。
神の子・メシヤであるイエスが洗礼を受けることに、奇妙な思いを感じる人がいるかも知れない。しかしメシヤ・イエスは「神そのもの」として来られたのではなく、「人となって」来られたのである。フィリピ2:6-9のパウロの言葉はそれを表している。(参照) イエスの受洗という出来事は、キリスト(救い主)が、神の高みから人を見下ろすのではなく、人として生まれ、人と共にい生き、罪を背負われたことを表すのである。 続きを読む »
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2022年01月02日
2022年1月9日(日)
ルカ2:41-52ルカ福音書だけに記された、少年イエスに関するエピソードである。両親・親戚の一行と共に、過越祭のためエルサレムに上っていたが、帰りの道のりの途中でイエスがいないことに気がついた。慌てて捜し歩き、エルサレムに戻ってみると、イエスは神殿で律法学者たちと楽しそうに議論していた。母マリアは思わず言った。「何てことをしてくれたんです!?みんな心配して捜していたんですよ!」
この箇所を読むと、私には思い出す子ども時代の記憶がある。 続きを読む »
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